荒れ野で叫ぶ者の声がする。
主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。
マルコによる福音書 1
3年間助手を勤めたのは
創作志望者の集まる学科だった
100人ほどが
一学年に在籍する
4学年で400人ほど
夜間部にも同数が居るので
常時800人ほどがいる
その全員の世話を任されていて
卒業制作の際の事務的な世話を
一手に引き受けていた
この場所のこと
その頃のことについては
いずれ
散文でぶちまけるつもりがある
若い創作志望者たちの裏側や
それを指導するふりをして
やっつけ拵えの制度に寄生し
なんとか食いぶちを得ていく
年長者たちの愚かさ哀れさを
つぶさに取材し切るつもりで
たくさんのワナビーたちや
センセたちや編集者たち
廃れた作家や詩人たちと
つき合い続けたのだから
それはそうとして
800人いるうちのほとんどが
小説家志望であり
詩人志望であり
劇作家志望で
もちろんほとんど誰も
小説家にもならず
詩人にもならず
(まァ、岩波文庫に入ってから
(詩人は詩人と呼ぼう…
(現代詩文庫なんざ
(自費出版で出せるしね…
(という恐ろしい発言をする
(文系のセンセたちが
(大学にはいっぱい蠢いている…
劇作家にもならない
とはいえ
800人の創作家ワナビーが
いたりいなかったり
いつもわさわさ
うぞうぞ
蠢いている場所というのは
おそろしいほどの
エネルギーセンター
よほどの自我の強さがなければ
あるいはよほどの
世捨てが出来ていなければ
この雰囲気の中では
揮発させられてしまう
春のガイダンスでは
人格破綻者で思考も異常な
主任教授が
100人の新入生に向けて
必ずこう演説するのだった
「ここにいる君たちは
「小説家など
「創作家になりたがっている
「でも断言しておきます
「まず、ひとりもなれない
「絶対になれません
「一万人にひとりぐらいしか
「なれない存在に成り上ろうとして
「毎年こんなに志望者が来る
「だいたい100年にひとりです
「本当に作家になれるのは
「手加減して言えば
「50年にひとりぐらいか…
「とにかく君らはムリです
「君らにできることは
「少しでもマシな読者になることぐらい
「多少は賢明な文芸作品の購買者に
「なってもらうことぐらい…
いつも脇に列席しながら
いつもながらに酷いことを言うなァ
そう思って聞いていたが
今にして思えば真実も真実
ワナビーはごそごそいるし
ノーテンンキな自画自賛クンや
仲間内褒め合いサンたちは
陸続としゃしゃり出てくるものの
ドナルド・キーンさんたちが
わざわざ訳して紹介しようというほどの
西脇順三郎さんみたいに
ノーベル賞がひそかにチェックするほどの
ホンモノ中のホンモノは
めったに出てはこないし
出てはこれない仕組みというものが
社会と文化史には組み込まれている
ひとりの人物が
ひとりの人物が
なぜか他の人間たちと違って
総理大臣になっていったり
大統領になっていったりするのと
同じような構造性がそこには働く
毎年ノーテンキな夢を描いて
わざわざ文芸魔法学校に入って来てくれる
若いだけが取り柄の学生たちを前に
じつは自分こそが文芸家たらんとしている
最大級のワナビーたる主任教授は
自意識過剰と思考破綻から来る
健康崩壊と生活崩壊のために亡くなったが
今になって思うに
毎年なんとも正しいことを
宣告し続けたものだった
「君たちが作家になることはない
「君たちは断じて作家になどならない…
ようするに彼が言いたかったのは
作家だの小説家だの詩人だの
劇作家だの芸術家だの
そんな肩書や着ぐるみの充填材にならずに
なんとも呼ばれないとしても
創作し続ける者になれ
なれるか?
なれるか?
本当に創り続けられるか?
ということだった
そういう創作家の出現はたしかに
100年に一度くらい
そういう愚か者よ出でよ
逝け逝けそういう愚か者よ
彼が荒野で叫び続けたのは
究極のリクルートであり
創作の救世主の出現の期待だった
オレこそが
オレ達こそが
というワナビーたちは
いくらでも出たが
あれから二十年ちかく
流れ去ろうとしているが
狂った暴言王の主任教授は
まことにまことに正しかった
あの中から誰ひとり
村上春樹を超えた者は出なかった
あの中から誰ひとり
谷川俊太郎を超えた者はでなかった
あの中から誰ひとり…
文芸はけっきょくは売れ行きに
専門外の一般人の中での知名度に
哀れにも寂しくも左右され続ける
学問じゃないからね
基礎研究じゃないからね
無名でいいんですなんて逃げ口上は成り立たない
どう言い繕おうが
言葉のショービジネスなんだから
あゝ 哀れ哀れ哀れなり
文芸ワナビー
せいぜいが少しでもマシな購買者に
消費者に
下評家に
なりゆくだけの
侘びしきオタクたち…
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