2017年2月12日日曜日

レシプロックのチーズケーキ

   
早くこの男の体の匂いを知りたい。
山田詠美


歩きに出ようとも思ったが
昼を過ぎると
冷え込みも強くなったようだったので
家に居続けることにして
中庭の苔の
冬でも青々としているあたりを
茶を飲みながら
眺めていた

そうしながら
かねてから書き出したいと
思いの募っていた
目立たぬ男女の
愛欲の物語について
さまざまな場面や
彼らの思いの
千々に乱れ
縺れるさまについて
想い描き続けた

しばらくすると
玄関の呼び鈴が鳴って
末娘の遥子が
いつものように勝手に入って来て
「お父さん、はい、おみやげ
とテーブルに
レシプロックのチーズケーキの箱を
置いた
「あたし、美智雄さんとは別れちゃった
と言うので
「ほお
そう答えるだけでは
ぶっきらぼうかとも思い
(いい男だったがな…
と美智雄君について言い添えようと思ったが
ミ・チ・オという音に触発されて
思いはすぐに
チヲのほうへと飛び
だいぶ昔に愛欲のかぎりを尽し合ったこの女と
このあいだコレド室町でふいに遭遇し
そのまゝ
ひさしぶりの朝帰りになってしまったものだから
これから
さあどうしたものかな
これはこれで
楽しくなくもない厄介事を
心の中で
ちょっと膨らまし始めてしまっているのに
気づかされ
さっき
考えていた物語も
だいぶ修正したくなってきている
奥底の自分の思念の蠢きに
あらためて
驚くようだった

「ありがとう
「ここのは旨いんだよ
「今度
「店のカフェに食べに行ってみようかな
そう遥子に言いながら
あゝ
しばらく会っていない悠美を
あの体を
ひさしぶりに抱きたいとふいに思い
血が静かに滾り出すのを
胸のうちに感じていた



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