2017年5月14日日曜日

この夕暮れ時の湖の上に居るおそろしさをこそ


…どうやら言葉がすべてのようである
…なにが存在しているのか、いないのか
…そんな問いに苛まれる際には
…言葉しか存在してはいないようなのである

ちょっと前
こんな思いに逢着すると
思い浮かべることにしていたのは
山々の奥の静かな湖だった

それは想像の奥にしかない

いや
奥ではないかもしれない

という言い方をすぐにしてしまうのは
きっと
感傷的なことの顕れであり
思慮の足りないことの露見だろう

想像はすぐれて表面的なものではないのか

とは
ぺらぺらの
てらてらの
表のことではないのか

静かな湖を思い浮かべがちだった時代の終わり頃
わたくしは本当に
山々のむこうのある湖にひとりで赴いたことがあった
その湖には
桟橋のような細さで水深3センチほどの浅瀬が張り出しており
50メートルほどは安全に歩いて湖の中ほどまで行ける
くるぶしぐらいまでは濡れるが
滑らないように注意すれば
まるで湖の中ほどで水面に立っているような気持ちになれる

わたくしはある朝方
まだ陽の出ないうちに
50メートル先まで裸足で歩いて行って
湖の中に立ち尽してみた
湖上にはすこし靄が出ていて
水の上をゆっくり流れて行っていた
なにも音のしないのがおそろしいほどだった
わずかな波が足に打ち付けるので
音がするはずだが
それはなぜか音にならなかった

ある夕暮れも
わたくしは同じ浅瀬の張り出しを歩いて行き
50メートル先で止まってみた
空は美しかったが
夕暮れの湖上は色のない闇がどんどん濃くなってきて
成長していくおそろしさがあった
どのくらい暗くなるまで居られるだろうかと
わたくしは自分を試したい気になったが
すっかり暗くなってしまうまで居ることはできなかった
浜へ戻る際に浅瀬から深みに踏み外して
水底に落ちてしまうのではないかと心が震えた

それよりも
濃くなって色もかたちも失われていくばかりの夕闇の中で
大きな水の上にひとりでいて
無音にじぶんの鼓動さえ吸い取られているおそろしさに
わたくしは堪えられなかったのだと思う
裸足をひたひたと夜の湖の水に舐められ続け
ひょっとして
暁まで立っていられないだろうか
そんな挑戦心もないではなかったが
なにも見えない暗闇の湖の上にひとりでいるおそろしさには
抗しようもなかった

けれども
この時を経てから
わたくしは
この夕暮れ時の湖の上に居るおそろしさをこそ
わたくしの心とするようになった
さびしいというのとは違う
心細いというのとも違う
大きな水のひろがりの中で
その水に裸足を浸けて
まわりを山々に囲まれて
たったひとりで闇の中にいるおそろしさである

もし
心がその人自身だというなら
わたくしは
そんなおそろしさをわたくしとしたといえる

わたくしはおそろしさだ

ただし
そんなおそろしさ…

他のおそろしさではなく…



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