あそこのスーパーマーケットのレジにも
路線バスの支払い箱みたいなものが置かれるようになり
貨幣や紙幣を
そこにべつべつに投入させられるかたちになった
店がお金を管理するには便利かもしれないが
貨幣と紙幣をべつべつに出して
背をかがめてそれらを投入口に入れさせられる客のほうは
じつは店の管理の前段階をさせられているわけで
ビミョーに損失を被らされていると思うのだが
やっぱりここでも現代日本人は唯唯諾諾
おかげで
慣れたレジ係が客ひとりひとりの財布扱いにあわせて
緩急わきまえてお釣りを手渡してくるのより
ビミョーに時間がかかるようになって
レジは以前よりも渋滞するようになっている
そういえば
お金の「投入」
さっき「投入させられる」とうっかり書いてしまったが
ふだんの生活の日本語では
投入
なんてあまり言わなかったなぁ
豆乳
なら言うんだけれど
投入
っていうのは生活語としては硬いから
入れる
で済ますわけだ
投入
なんて語彙としてもちろん知っていても
入れる
に転換して口に出すわけだ
家族のあいだで
投入
なんて言うかい?
「ほら、はやくお鍋に白菜を投入して!」
「入浴剤、どのくらい投入するの?」
なんて
言わないだろう?
投入
ってそういう単語なんだ
もちろんレジの支払い箱にも
入れる
って言ってぜんぜんかまわないんだけれども
投入
って説明に書いてあったり
店の人にもなにげに
投入
投入
投入
って言われたりすると
そっちのほうがワケ知りなような
通なような
現代的なような
知的なような
そういうもんなんだよ的なような
そういう言い方してかないと時代遅れなんだよ的なような
投入という単語もポンポン言えないなんてヘンじゃね?的なような
で
発音し始めてしまう
投入