花粉症がひどいので
二月三月は
生きていないのとかわらない
瞑想のかたちばかり
して
しのいでいる
脚を組んで
膝に腕を伸ばして
指で
チンムードラや
ギヤンムードラあたりを組むと
すーっと鼻水は止まり
困った症状は消える
これは二十代の
アシュラム時代のなごり
二十八歳まで
毎晩一時間はヨガと瞑想をし
そう厳しく制限はしなかったが
菜食主義を続けた
国際線でもヴェジタリアンを
最初から頼んでいくのが
常だった
なつかしい
若気のいたりの
頃
二十八歳のある日
修行はやめた
大げさなようだが
イエスのことばを真に受け
したがったのだ
「それだから、あなたがたに言っておく。
「何を食べようか、何を飲もうかと、
「自分の命のことで思いわずらい、
「何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。
「命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。*
瞑想も
とうのむかしに
やめた
さっき
うっかり
瞑想のかたちばかり
して
しのいでいる
と記したが
瞑想
ではない
瞑想のかたち
と記したところに
本当に大きな違いがある
どこでもいい
目を瞑って
坐り
脚をかるく組み
手のひらを
上向きにして膝に置く
ムードラは
組んでも
組まなくてもよい
ただ
それだけ
無念無想になろうなどと
思わなくていい
思ったらいけない
思ったら
もう
無念無想ではないし
ただ
目を瞑って
坐る
それだけ
だいたい
瞑想ということばが
違う意味なので
いけない
目を瞑って
あれこれ
世俗の算段を想うのが
瞑想
瞑想
ただ
目を瞑って
坐る
花粉症の症状が消えるのは
たぶん
下ろした腰と腿の屈折
そこから
おのずと来る
背の無理のない伸び
さらに
ゆるくであれ
脚を組むことの効用だと思うが
それは
また
別のこと
インドのむかしのヨガ行者たちは
ひょっとして
花粉症の人が多くて
ある時
坐る姿勢に効用があると
だれか気づいたのではないか
と思ったりする
とはいえ
ちょっと長めに
こうして坐っていたりすると
こちら側の
いわゆる世の中の
価値だの意義だのは
見終えて来た映画程度のものに
たしかに
なってしまう
付言しておくと
花粉症の症状が消えるのは
坐って
脚を組んでいる時だけ
立ち上がって
こちら側の
いわゆる世の中の
活動に戻ると
たちまち
鼻水や
くしゃみが
また
襲ってくるので
あしからず
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