そんニャに猫が好きなわけではニャィと思っているけど
ひとりでいるとニャア!とかニャンコ!とかつぶやいてばかりいるから
猫好きだと思われてもしかたニャいところもあるにはあるニャとは思うが
それでも動物としてのあの猫が密接に心に貼り付いているのとは違って
やっぱり空想上のけっして実在しない猫を魂としているのだと思うニャ
これを仮に猫魂と呼んでおくとすれば
こいつをわが魂の奥処に戴くには動物としての猫を飼っていてはだめで
そりゃァかつて飼ったり親しんだりした経験があるにしたところで
今は飼ってもいないしそんなに親しんでもいニャいという
距離というか空白というか隙間というか空虚というか
まぁそんなものがどうしても必要な感じで
それだからこそ猫魂は安心して人間たるわが心身に染み込んで
ニャア!ニャンコ!ニャントモニャァ!などとつぶやくのであるニャ
だいたい動物としてのあの猫どもめが
人間的な文節を通しての発声でニャンコ!などと叫ぶわけがニャィ
ニャンコ!などというととかく人は馬鹿にしてかかる傾向があるが
これは猫のイデアを幾重にも抽出した上でようやく発せられる
非常に高度な知的遊戯というべき現象ニャのであるニャ
犬はどうしたんだ?嫌いニャのか?と聞かれそうだけど
いわゆるイヌ派のあのアラレもない崩れっぷりは醜く思うものの
実際にはそれほど嫌いなわけでもニャィのであって
そういえば幼い頃にはよく犬のマネをして家のなかを這っていた
ワンワンと言い続けるのからはじまって
よく犬がなにか不審なものを見つけた時に発するクゥン…という声など
われながらけっこううまく発していると自認していたくらいで
たしかまだ幼稚園にも行っていニャかった時なので
幼稚園や小学校に行けニャくニャったら犬にニャろうと企ててもいた
どうして猫のマネをその頃はしニャかったのかというと
猫というやつは道端で出会ってもあのとおり愛嬌のニャいやつが多くて
せっかくおいでおいでしてやってもぜんぜん寄って来ニャいし
ちょっと遠巻きに軽く「ニャ!」と省エネモードで答える程度で
このしぐさや振る舞いは幼児にはすこぶる不満足なものであったため
どうしたってしぐさのアラレもニャい犬のほうが気に入っちゃう
幼稚園に行ったり小学校に上がったりすると
さすがに知恵がちょっとは付いてきて俄然オオカミ好きにニャった
ニャにせ危ニャっかしい世の中や地上を生きのびていかねばニャらぬから
犬のような頼りニャい生き方ではだめでオオカミにニャるぞと悟り
オオカミ少年ケンだとかオオカミ王ロボだとかも人気があったので
外を歩いていても就寝時間にも立派なオオカミにニャるぞと心に定めて
人間界のあらゆる約束事や習慣を小馬鹿どころか大馬鹿にして
親が見ていニャい時ニャんかには食事は手を使わずに
食器に顔を突っ込んでフガフガ食べてみたり
家の中どころか戸外の道路も路地あたりニャらば四本足で走ってみたり
言葉や表象を使う人間的思考法と違う思考法を蘇らせようとしてみたり
いろいろ努力してみたがちょっとぎこちなく動いたりすると
オオカミどころかたちまち犬みたいにニャってしまうので
これは先々なかなか前途が思いやられるぞと目眩がするようだった
いまだにその目眩のなかにいるようニャものニャのだ