見とがめられないように構造を見てとろうとして
月に二度以上はそこに入り込んでいかないように注意したので
なんと
29年もかかっても
ようやく掴めた粗い構造は
透明の十字型のそれぞれの先端部に
黄
紫
青
オレンジ
の宝石か染色ガラスのごく小さなもの(0.5ミリ程度) が嵌め込まれている
ということぐらいだった
しかし
重要に思われるのは
その十字型の上に70センチほど浮いたかたちで
七角形の透明の板のやはりそれぞれの先端に
白
ブライトターコイズ
グレイッショピンク
ビビンドパープリッシュブルー
ダルブルー
ビビッドイエローイッシュレッド
ペールブルーイッシュグリーン
の宝石か染色ガラスのごく小さなもの(0.3ミリ程度) が嵌め込まれている
ということだが
これらの石の数や色よりも
この透明の板( 透明かつ不可触なので実質的には存在しないのも同じ)が
下の十字型とすこしずれるかたちで浮いていることのほうが
重要と思われる
わたしははじめてこれらについて記しているのだが
これらのある場所に入り込む細い道のはじまりのあたりにある
カフェのテラスのテーブルに就いて
今
人の目には見えないエメラルドタブレットを打ちながら記述してい る
カフェは壁もテーブルもカップも
そればかりかコーヒーやティーまで純白で
あること/ないこと
のあわいそのものであることをやや通俗な意匠で象徴している
現世にあっては致し方ないところだろうが
普通にカフェとして捉えるかぎりではそこそこ品のある店に見える
わたしの近くには誰も客はいない
離れた店の奥まったところのテーブルに中年の女性がいるが
なんの特性もない女性に見える
生活にゆとりのある
しかしさほど裕福というわけでもない教員タイプか
図書館員タイプに見える
が
もちろん
こういう人ほど最も特殊な人種であることが多い
特性のない人間に見えることほど高度な芸当は昨今絶えて無いのだ
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