2019年6月9日日曜日

夕暮れの丸沼書店と有文堂書店



 はてさて、俺は、哲学も法学も医学も、 
あらずもがなの神学までも熱心に勉強して、底の底まで研究した。
ゲーテ『ファウスト』


夕暮れともなれば古書店も次々閉まっていくので
神保町の目抜き通りまで行っても詮ない
近くの書店もそろそろ店仕舞いに入っていくはずなので
用事で来ていた水道橋駅近くだけを宵の散歩ついでに
まだ開いているところを軽く冷やかしていく程度にするに限る

そう思って法律書専門の丸沼書店の店頭をザッと見ると
大学街近くらしく哲学概論や歴史関係のものが散見されて
概論のたぐいはたいてい大学の先生が昇進のために纏めた教科書なので
わざわざ開いてみるほどのこともないものばかりだが
それでもなかには発見に満ちた切り込み方をしているものもあって
好奇心から一応はすべて手に取って見ておくことになる
とはいえ今宵はさほど感心するものもなくて
法律書ばかりの店内に入っていってみると
まずは見渡すばかりの法律書の並び具合にさすがに専門店と思わされるが
意外なことに丸山圭三郎全集があったり東洋文庫がたくさんあったりする
東洋文庫のうちで探していたものがあったはずだが…
と思い出そうとするが思い出せないまま目を移していくと
司法試験用の参考書や試験問題集の棚にもたくさん並んでいたり
それと対面するかたちで刑事訴訟法の棚にも新旧の本が詰まってい
日本の法学の知もなかなか捨てたものではなさそうだと感じる
新品の教科書も並んでいるのでなにかと手に取ると
日本大学制作・出版の分厚い教科書の数々で
法学関係各種もあれば哲学も語学もその他の教養科目もあり
大学自ら教科書を出してしまうというのはなかなか意欲的と見える

ともあれ何も買わずに外に出てもう一度店頭の雑本棚を見直すと
1976年の講談社版の「世界の歴史ギリシアとヘレニズム」があり
まったく読まれていない美本が¥400となっているので買うことにする
古代ギリシアはシャトーブリアンが『革命試論』で問題としており
啓蒙主義の時代のイデオローグたちにもフランス革命期の革命家に
思考上さんざん参照され問題とされた特権的な時代であるため
言語を問わずどのような本でもいちおう開いてみることにしていて
今見つけた一般教養的歴史書にあってもアプローチの差が面白かったり
意外と発見があったりするためできるだけ買って帰ることにしてい
ドラコンの法やソロンやペリクレスやペロポネソス戦争のあたりは
この講談社版はなかなかよく記述しているように感じるが
ペルシア戦争については文春新書から出た「世界史の新常識」のなかの
森谷公俊帝京大学教授の短い文章のほうがはるかに発見に富む
戦争に負けたペルシアのほうが遙かに豊かなままであり
ギリシアにはペルシア風が流行って
実質上はペルシアがギリシアを文化的には支配していたという見解
通り一遍の歴史概説や旧来の世界史のお勉強では得られない

となりにあるオンボロ家屋の古本屋有文堂書店は夕方になると
老いた奥さんが奥の方で夕飯を作り出すのでいつも煮物の匂いが漂
書棚も傾いでいれば大量の本も埃だらけなうえ地べたから積み上げていたりで
法律書が店内に整然と並べられている丸沼書店と比べれば酷いものだが
ここには演劇や落語や歌舞伎や能狂言や映画のめっけ物の本が必ずあり
いわゆる文系の人間は間違って踏み入ったらしばらくは滞留してしまう
すでにここでは昨年の真夏の暑い日々に40冊ほどは買っているの
なるべく買わないようにしようと思いながら恐る恐る見るのだが
以前は面白くも思わなかったものや買うまでもないと思えたものが
時間の経過とともに俄然面白い大事な本に見えてきてしまって
だからいわないこっちゃないアブナイアブナイ…と思いながらも
梁塵秘抄や式子内親王や建礼門院や京極為兼に関するものを買ってしまう
くわえて久保田正文の「現代短歌の世界」¥200也を見つけてしまい
この便利至極の労作にはため息が出るほどのお得感に指先が痺れる
落合直文から佐佐木信綱や尾上柴舟や金子薫園などから始まって
現代というより近代短歌の絞り込んだ二十四人を論述していて
以前なら興味も惹かれないまとめ本系として軽蔑さえしたかもしれないが
近代短歌の発生と展開を追い続けている今は頭が下がる仕事と見え
それにしてもどうして「近代の」とせずに「現代短歌の世界」としたのか
戦後の前衛短歌に対する著者の批判があると見ておくべきだろうか

「現代短歌の世界」の近くには吉本隆明の本がずいぶん並んでいて
手垢のついているような汚い本もあれば読まれていない本もあり
こんなものをまだ並べているわけかと思いながらそれでも一冊一冊
昔から知っているものも含めて酔狂にもページを捲っているうち
吉本の柳田圀男論が不意に面白くなってきてイカンナァこれは読まねば
イカンナァと体内を血というか気というか何かが上るように感じ
他の対談本もどれもこれもそれまで感じたことがないほど面白く見
なんといっても講演記録をまとめた本がいちばん面白そうだったが
ずいぶん読まれたのかそれとも保存場所が酷かったのか
その本がことの他汚くてさすがに買うのならもうちょっときれいなのを
どこか他の本屋で探して買うことにしようととりあえずは決めて
どうにかこうにか自分の手を宥めて買わないでおくことにしたが
この沸騰するような急な吉本熱はなんだったのだろうか
やっぱり一冊ぐらい買っておかないといかんナァとは思って
まだ読んでいなかった「最後の親鸞」(春秋社)だけは買ってしまったが
400にしてはこれは美本でおまけに1976年の初版だが
吉本隆明の初版なんぞ今どきなんの価値もありゃしないので
愛書狂的興味から買ったわけではなくむしろ節約のために買ったのである
なにせ今日日は文庫本のほうが薄くても¥1000以上したりするのだから




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