2020年1月30日木曜日

人類の停止を


  
 動きと休息とが、私がキリストである証である。
 トマスによる福音書



このところ忙しすぎた大国の回転が
生物進化の立役者である聖なるウィルスによる介入で
減速と休止とを余儀なくされている
眠れる獅子とさえ呼ばれた国が
神経症の欧米にせっつかれてこの百年余
極東の列島のようにせわしなくなってしまって
大いなる女神アジアは寂しんでいた
すこし休むがいい、中国よ
ヨーロッパともアメリカとも違う
アジアの生き方を諸国に思い出させるために
もし望むなら全世界を巻き込んで
偉大な老子と荘子の国よ
人類の停止を巨大に仕掛けてしまうがいい




夜明け近くまでがぼくには夕食の時間だから




この魂は、死期に先んじて、
行ってしまう、ほかの生を生きよと促されて…
    ペトラルカ「カンツォニエーレ(抒情詩集)」31



ひとつの用事から
べつの用事へ
さらに
また
べつの用事へ

そうしながら
ずれ込む
澄んだ空気のむこうに
ちょっと味のある雲の浮いた
美しい夕暮れへ

22時半頃にスーパーへ行き
夕食をつくり出すのは
おゝ、
ずいぶん遅くなってからになったものだ、今日は
明日も用事はあるが昼からで
サルトルの『嘔吐』も
後半の20ページほどを読み直しておかないといけないが
まだ間はあるから
気分はのんびり
ネットで
新コロナウィルスの最新ニュースを見てみながら
ニンジンや大根を切っている

昼過ぎに
ぽちゃぽちゃ
入浴しながら読んだ中村誠一のおしゃべりに
ソニー・ロリンズの話があって
ドラッグ断ちをした際に二年ほど演奏活動から遠ざかって
ボディービルディングをしたり
ブルックリン橋の上で
毎日サクソホーンの練習をしたりしていたとか
そうしてカムバックした時のレコードが
例の名盤『ブリッジ』
ちょっといい話だなと浴槽から出たが
思い出しながら
Youtubeで「モリタート」*を掛けてみている
ロリンズを聴くのはひさしぶりで
これが
すごくよくて
豪華だ
豪勢な夜だ
ひとりでニタニタしたりしている

ウィルス除けのために
中国でだけでなく
日本でも
マスクが買い占められ始めているらしい
馬鹿めが!
マスクで微小なウィルスが避けられるものか!
咳の際の唾の飛散は多少は防げても
乾燥して空中に漂ったウィルスはそこらの安物マスクでは防げない
網目の密な高級マスクなら効果はあるだろうが
酸素流入さえ抑えてしまうからろくに歩行もできまい

そうなると
結局は体力だとか免疫力だとか
それらを強める他ないという意見が出てくるが
まぁ、頑張っておくれ
体力や免疫力を強めているから俺は大丈夫だぞと強がった人びとが
けっこうひょいひょい死んでいったのを
見てきたから

ソニー・ロリンズが
ブルックリン橋の上で練習している様子や
サックスを吹きながら
公園のなかを歩いて行く姿を映した映像があるそうで
ずいぶん素敵だそうだが
どうやら
Youtubeにはないようだ
しかたがない
全曲が入っている「ブリッジ」**を掛けよう
これを聴きながら
料理を続ける

さっき届いていた封筒を思い出す
アマゾンで頼んでおいた『破壊する創造者』が来たはずだ
フランク・ライアンが
ウィルスが生物進化に巨大な寄与をしてきた仮説を論じた名著だが
邦訳は2010年発行で文庫は2014年発行なのに
もう在庫が切れてしまっている
古本屋経由でなんとか入手できてよかった
生物学好きだから
ウィルスに関する本もけっこう持っているが
この新コロナウィルス騒ぎで
さらに数冊買い足したうちの一冊

イワシにシンプルに海塩をかけて
さらに香辛料をかるく振って
フライパンでオイル焼きするつもりで4尾
冷凍庫から出しておいたが
さっき
半額になっていたイナダの刺身も買ってきてしまって
ちょっと多くなっちゃうかな
遅い夕食としては
危ぶむが
まぁ、のんびり食べることにしよう
夜明け近くまでが
ぼくには夕食の時間だから



   
Sonny Rollins Moritat https://www.youtube.com/watch?v=CND9YxCxi-Q
**Sonny Rollins The Bridge(1962)https://www.youtube.com/watch?v=3c3pBbmmaVw&t=606s





2020年1月19日日曜日

いつと定めぬ世のはかなさに




藤原為頼が

世の中にあらましかばと思ふ人なきが多くもなりにけるかな

と詠んでいる

生きていてくれれば、
この世にあり続けていてくれれば、
と思う人たちが
ずいぶん亡くなってしまった
といった意味あいだが
今とかわらない感慨が表わされていることに
かえって
驚かされる
こんな感じかたや
思いかたは
ほとんど変わらないまゝ
時間も歴史も流れ続け
むかしの人が
こういったところでは
同時代人でいる

そういえば
豊臣秀吉の妻の兄の嫡男だったという
木下長嘯子こと木下勝俊は
播磨国龍野城を与えられたり
若狭国の後瀬山城を与えられたりしたが
関ヶ原の戦いの際には豊臣方と徳川方のあいだで
ずいぶんややこしい立場に立たされたらしい
家康の命を受けて留めおかれた伏見城を捨てて京へむかった理由は
今でもいろいろと取り沙汰されているらしいが
歌人で風情を好む彼が
絢爛豪華な大阪城が燃え上がるのを見るのに耐えられなかったため
とするロマンチックな説が楽しいし
歌人で風流人たる彼を朝廷が救済しようとしたという説も
戦国の武将にはなかなかないような話で趣がある
関ヶ原の戦いの後は剃髪して東山に隠棲し
高台寺の隣りの挙白堂に住んで和歌を読み続けた
墓も高台寺にあるというが
なんどか訪れたのに恥ずかしながら私は線香も手向けていない
こういう長嘯子もまた
われらが同時代人というべき人で

思ふどち一日もうとく過ぐさめやいつと定めぬ世のはかなさに

と歌っている

思いあう同士なら
一日であれ遠く過ごしていられようか
いつ逝くともわからない
この世のはかなさなのだから
といった意味あいで
戦国の世をまさに武士として生きた人ならではの感慨だが
彼と比べればはるかに安閑とした時代にある身にも
ただうつせみを以て生きているというだけで
この世というのは乱世なのだから
われらのことを歌ってくれていると思っても
そう違うわけでもないだろう
乱世といえば

  以後のことみな乱世にて侍ればと言ひつつつひに愉しき日暮れ

と現代の安永蕗子が歌えるのも
とりあえずは現代のローマ帝国の属国であるのに甘んじた
限定された枠内での平穏に蕩け切った生活を送っているためでもあるが
木下長嘯子のような虚無の心境の突き抜けが
この列島には蓄積されてきたおかげでもあるとは言える

だれもが知っている在原業平は
もちろん
こんな決め手の一首を詠む

つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

もっとも
私の数すくない見聞から思うに
終わりに近づいた人たちは
じぶんの終焉というものの時期を
意外と察知しているもののようでもあり
そうだとすれば
在原業平のこの歌は
まだまだじぶんの死を遠いものと心の底では見ている健やかな者が
あくまで詩歌の舞台上で
死を演じてみながら歌っているもの
と言えるかもしれない




ムサムサムサムサ


  
能書家で
万葉調の歌人だった平賀元義のことは
ほとんど知らないが
ヘンなところのあった人らしく
女好きで
それをほのめかす歌の中でよく「吾妹子」と使ったので
正岡子規など『墨汁一滴』で
「元義の歌には妹または吾妹子の語を用ゐる極めて多し。故に吾妹子先生の諢名を負へりとぞ」と書いてさえいる
どおりで

天保一二年八月十五日夜作
五番町石橋の上にわが魔羅をたぐさにとりし吾妹子あはれ

などという歌も
あったりするわけだ
ずいぶん露骨な歌だが
着物を着ているのがふつうの時代ならば
造作ないことでもあっただろう
八月の石橋の上で
さぞや
しとどに
たがいの汗に濡れてもいたことであろう

ともあれ明治以降
こういう歌を捨象してしまって
きりきりと悲壮感へと突撃したがるような
ピューリタンというか
ヴィーガンというか
必須栄養素の欠如した近代短歌になっていったところに
歌の貧困はあり
歌の不幸はあった

「たぐさにとりし」という語感が
ちょっとわからないのだが
歌ったり踊ったりする時に手に持つものを「たぐさ」というとか
田に生える雑草を「たぐさ」というとか
陰暦五月を「たぐさ月」というとか
そんなことを思い添えると
なんだか
ムサムサムサムサと
わかってくるような気もする

誤解して
しまっているかもしれないが
誤解していてもかまうまいという気が
ムサムサムサムサと
してくる




太田垣蓮月


幕末の騒動などは
その時代を生きた人びとには驚くほどのことでもなくて
どこで天誅があったとか
どこで新撰組がどうしたとか
じぶんたちには関わりのないことと
さほど気にもせずに暮らしていたのか
と思ったりもするが

世のなか騒がしかりける頃
夢の世と思ひすつれど胸に手をおきてねし夜の心地こそすれ

伏見よりあなたにて人あまたうたれたりと人の語るをきゝて
きくまゝに袖こそぬるれ道のべにさらす屍は誰が子なるらむ

太田垣蓮月のこんな歌を読むと
いちいちの騒ぎに
やはり
いまの人間たちのように敏感に反応して
恐れたり
こころを痛めたりしていたものかと気づき直させられる

夫をふたり亡くし
産んだ子どもは四人も亡くしている彼女なので
寺田屋騒動と思われる事件で殺された武士たちの屍をも
「誰が子なるらむ」
と受止めたわけか
方々で
人が人を切り切られ
という時代に
それでも
こういう見方をしていた人があったかと
気づき直させられると
やはり新鮮な気持ちになる
驚かされ直す

出家後の蓮月は
生計を立てるために陶器制作をしたが
自作の歌を釘で刻んでから焼いた作品は蓮月焼と呼ばれ
人気を博したという
上田秋成や香川景樹や小沢蘆庵を師とし
橘曙覧などを友とし
若かった富岡鉄斎を侍童としていた
京都の西賀茂村神光院の茶所で高齢で亡くなったが
飢饉のたびに私財を投げ出して救おうとした人であったから
葬儀には多くの人が集まったという
太田垣蓮月の時代というものが
京都にはあったものらしい

述懐
日かげまつ草葉の露のきえやらで危く世をもすごしつるかな

動乱の時代を生きたということもあろうが
むしろ
自分に関わる親しい人びとをつぎつぎ失う運命を与えられた人の
素直な述懐の歌と思える



2020年1月18日土曜日

透明さと無とを身体とする



 L’invisivilité me semble être la condition de l’élégance. L’élégance cesse si on la remarque. La poésie étant  l’élégance même ne saurait être visible. Alors, me direz-vous, à quoi sert-elle ?  A rien.  Qui la verra ?  Personne.
Jeau Cocteau : De l’invisibilité  dans Journal d’un inconnu (Grasset 1953)





ひさしぶりに
コクトーの「知られない者、知られていない者の日記」を開いたら

見られない、見えない、ということが、わたしには、エレガンスの条件に思える。見られてしまえば、エレガンスは止まる。エレガンスとしての詩も、見られてしまうことには耐えられまい。こう言うと、見られないということが、なんの役に立つのか?と聞かれるかもしれない。なににも。だれがそれを見るのか? だれも。

とあった

この惑星上での
わたしの滞在のしかたを決めた章句のひとつ

コクトーのこの本
グラッセ社の《赤いノート》叢書の一冊は
わたしの唯一の友のものだった
彼女は死んだ

1983年に彼女と古い日本家屋の二階に住むようになった時
ドタドタと足音を立てがちだった若いわたしは
歩き方や振る舞い方の根本的な改変を強いられた
いっさい足音を立てずに畳の上を歩くこと
ものを手にとったり動かしたりするのにも音を立てぬこと
いるかいないかわからないように室内でも戸外でも移動すること

おおげさに言えば
この惑星上に滞在するにあたって透明さと無とを身体とすること

で?

なにも。

敷衍しない
展開しない

通俗小説ではないのだから