2020年1月12日日曜日

物という物を



与謝野晶子の短歌全集の、後書き、その
「舞姫」についてのあたりには、こう書かれている

この明治三十八年と云ふ年は、わたくしの二十八歳にあたるのである。
わたくしの物質生活が極めて貧困であつた時代で、
わたくしは外出着に、冬は一枚の銘仙の羽織と、
夏は縮の浴衣が一枚あつただけである。
併しわたくしは、さう云ふ中で、歌の三昧に入つてしまふと、
何事も忘れることの出来た幸福な時代であつた。
わたくしが外出着を夏冬一着より持たないと云ふ理由としては、
極端に貧乏である外に、歌の三昧に入ると、
誰にでも自分の持物を与へてしまひたくなる悪癖が盛んであつたことを
わたくしは思ひ出すのである。

歌にかぎらず、言葉に関わることには、こういうところがある
ことさらに物を持ちたくなくなる
なんであれ、物という物を手放したくなる
言葉に関わることというのは、ほんとうに、魔だと思うのである




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