常磐線のボックス席で向かいあった人と
東海道新幹線の開通頃の話をする
あの頃は冷凍みかんというのがあってね
子どもにはあれが楽しかった
ふつうのみかんとは食感が違うから
列車での長旅の楽しみのひとつでしたよね
そう、それにコーヒー牛乳もあったでしょう
牛乳瓶に入っているのは今もあるようだけれど
あの頃はコーラの壜みたいなのに入っているのも
あったように記憶しているんですがね
牛乳瓶に入っているものとしては
フルーツ牛乳っていうのもあったでしょう?
ぼくはあれはあまり好まなくて
コーヒー牛乳のほうが好きだったんだな
新幹線の開通は1964年10月1日でしたか
オリンピック開幕の10月10日にあわせてね
あの丸っこい先頭がよかったですよね
その後の先頭部分の変化をみると
かっこよくなったようでも、なんだか
親しみやすさを失ってしまったような気もしてね
ほんと、開通してからけっこうすぐに乗ったんです
当時は名古屋に住んでいたものだから
東京の親たちの実家との行き来で乗ったんでした
祖父が全国に展開した会社の社長で
父は名古屋支店で働いていましたから
視察なのかな、祖父もときどき名古屋に来ました
祖父母に連れられて新幹線に乗った時に
食べたり飲んだりしてははしゃぐものだから
車内で吐いちゃったことがありましたが
今から思えば困らせちゃったなぁ
祖父はたぶん50代の終わりくらいの歳で
祖母は50代のはじめくらいだったのかしら
できたばかりの新幹線の座席に
幼稚園にも上がっていない孫に吐かれちゃって
ずいぶん参っちゃっただろうなぁ
いろいろ手間をかけちゃったんだなあと
思いますよね、今になって思いかえせば
真新しかった新幹線にも迷惑をかけたなぁ
まさか開通してまもなく子どもにゲボされるとは
思わなかっただろうねえ、国鉄さんも
あんな昔のことだというのに
ありありと覚えているんですよ
汚しちゃった青い座席も床も
大人の後頭部のあたりにかかっていた
ぱりぱりに洗濯された白い布も
そう、それにあの頃の列車での旅の定番の
あの白い小さいポリ容器*に入った
熱いお茶の入れ物がいくつか窓のところに
並べられていたのも
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