行かなくなってしまった湿原から
靄は来続けている
たしかに私は非繁華街人
靄の着こなし方には長けている
6269
見えない煙草を
人差し指と中指に挟んで
桐島由希子から借りたまゝの唇に
この頃
よく運ぶのよ
6270
水をたっぷり吸った海綿のように
湿っているべき心
白磁の皿より
薄い金色の貝皿に載せて
裏に水滴が付き始める程度の
ほんのひと時を
初夏の
真みどりの細木の並びのように
良質の靄なら
生きる
行かなくなってしまった湿原から
靄は来続けている
たしかに私は非繁華街人
靄の着こなし方には長けている
6269
見えない煙草を
人差し指と中指に挟んで
桐島由希子から借りたまゝの唇に
この頃
よく運ぶのよ
6270
水をたっぷり吸った海綿のように
湿っているべき心
白磁の皿より
薄い金色の貝皿に載せて
裏に水滴が付き始める程度の
ほんのひと時を
初夏の
真みどりの細木の並びのように
良質の靄なら
生きる
C’est une chanson, qui nous ressemble…
Jacques Prévert 《Les Feuilles Mortes》
森のなかの宴会場か
ホールのようなところで
長かった大きな集まりが終わり
つぎつぎ来るバスやタクシーに乗って
何人かずつ何十人かずつ
その場を離れていく
何台かのバスを見送りながら
うしろの席にはあの人も
そのとなりにはあの人も
わきにはあの人もあんな人も
みんなもう去っていくのかと
終わりということの波が寄せてくる
それらのどの人たちとも
うまくつき合えたとはいえない
反目しないまでも
どこか認めあわないまま
どこか故意の無視をしながら
時も世もどんどんと過ぎた
心に響く声にいま知らされるのは
ぼくのぼくはけっきょく
彼らあってこそのぼく
彼らとの微妙な拮抗あってのぼく
彼らが去ればぼくも消えていく
このさようならの波の打ち寄せのなかで
なにかというと
じぶんに出会うために、とか
ほんとうのじぶんをさがして、とか
はたまた
自由を求めて、とか
真理に到ろうとして、とか
口走ってしまう声帯や舌や口腔を持っている人体が
そこ此処に
馬鹿か?…と思いそうになるが
なんとか堪えて
芸がないんだな、どうしようもなく、と
思い直して
やることにしている
じぶんに出会わないために、とか
ほんとうのじぶんだけはさがさないために、とか
はたまた
自由など求めないために、とか
真理にだけは到らないために、とか
せめて
この程度には
言えよ
ダサいんだよ
中学生ぐらいまでは
冬の夜に起きているのが寒くて
ほんとうにつらかった
どうしてあれほど寒かったのか
コンクリート製の家だったのに
朝には水道管の水が凍っていて
蛇口をひねっても水が出てこない
勉強机に向かうと息が白くなるし
手や指はかじかむので
インスタントコーヒーの空き瓶に
沸かしたお湯を入れて腿で挟み
かじかんだ手を温めたりしていた
それがふつうと思って生きていたのは
あれはなんだったのだろう
あれが昭和というものだったのか
冬も本当に寒くなってくると
ぼくらの小学校では
石炭を焚いた
石炭だけでは燃えないので
薪もストーブに入れる
火は新聞紙で点けて入れたり
新聞紙を入れておいて
そこにマッチを入れたりする
火を点けるのは
先生がすることが多かったが
生徒は順々にストーブ係をしたので
生徒が火を点けることもあった
石炭や薪を取りに行くのは
ストーブ係の仕事で
冷え込んだ朝や雪の日など
寒くて寒くてつらかった
でもトタンのバケツを提げて
何人かで取りに行くのだ
ストーブの中で燃えた石炭滓も
下の口を開けて掃き出し
それもバケツに入れて捨てに行く
子どもたちのことだから
灰を握って投げ合ったりもする
そうして先生に怒られたりする
こんなだったから
冬の教室は暖かくて
とにかく嬉しいところだった
暖かさがそのまま嬉しさで
この単純な価値観が貴重だった
こんな寒さ暖かさの中で
宮沢賢治なんかを読んだりすると
ぼくらにはよくわかったし
賢治の書く雪や寒さは
遠くもなく昔でもなく
そのままぼくらのもののようだった
こんな子ども時代だったのだ
ぼくらの小さかった頃はまだ
幼稚園に入ると
てかてかに塗られた
お道具箱という木箱があって
そこには白い太い字で
するがまさき
と書かれてあった
迷子になった時なんかに
じぶんの名前を言えるようにと
するがまさき
するがまさき
と小さい頃から
覚え込まされていたけれど
文字で見せられたのは
たぶんはじめてで
するがまさき
するがまさき
と発音しながら
まるで他人のように
まるでべつの生き物のように
なんどもなんども見つめた
そのうち逆から
きさまがるす
とも読んでみるようになって
なんだか
ずいぶんドスの効いた
怪獣もどきみたいだと思ったが
きさまがるす
きさまがるす
とくり返しているうちに
じぶんのべつの顔のように感じてきて
こいつ無視できないな
などと思って文字を見る
ガメラのライバルの
ギャオスが登場した時には
じぶんのほうが先に地上に来ていたぜ
などと思ったりした
キサマガルス
とカタカナで書いて
想像のなかでギャオスに対抗したり
三菱の自動車ギャランができた時には
キサマギャラン
なんて言い換えて
自転車を自動車っぽく乗りまわしたりした
貴様が留守
なんて
漢字で思い浮かべるようになったのは
だいぶ後になってから
小学校高学年の
受験用の漢字のドリルを
さんざんやらされるようになってから
母方のおばあちゃんは
ポケットのことを
ポッケットというので
おばあちゃん
へんなふうに言うなあ
と思っていた
ぼくはまさきという名だけど
おばあちゃんは
まさきちゃん
と呼べないで
まるでポッケットみたいに
まさきっちゃん
と呼んだ
江戸っ子の家に
福島から嫁に来たおばあちゃんは
おじいちゃんの家では
唯一の田舎者で
娘であるぼくの母や叔母たちからさえ
お母さんは田舎もんだから
と言われ続けだった
母親が田舎もんで
その娘たちが田舎もんじゃない
というのが
田舎もんじゃない娘から生まれた
孫のぼくから見ても
なんだか
かなりヘンだった
母たちはポッケットとは言わないし
まさきっちゃんとも呼ばない
おばあちゃんはポッケットというし
まさきっちゃんと呼ぶ
田舎もんっぽさは
さては「っ」にあるのかな
と子どものぼくは訝ったものだった
日本のマスメディアの報道があからさまに売田贔屓をしている
自国にもごそごそいる虎麩や売田の暗部も追及せずに
特高顔の国会モゴモゴ首相も売田に大統領就任前祝いをしたらしい
この男は陰湿なワルなので政界の鶴屋南北劇での活躍を期待しては
虎麩を大統領に就けて支えてきた網の目の恐さへの認識不足がある
虎麩と売田を対峙させて混乱と停滞を生じさせ
大量の注意力と労力をアメリカ国内で消費させている演出家たちの
本当の狙いはなにか
諸外国や諸勢力の深層心理を引き出そうとするためか
マネーの流れにさらに変化球を増やすためのドラマ作りか
いずれにしても虎麩と売田は裏で手を握って同じ脚本で演じている
仮に双方が役柄を入れ替わっても過不足なく代役を務められるはず
所属事務所も稽古場も同じ虎麩は売田のセリフをすらすらし
売田も虎麩の所作ぐらい難なくこなせる
さすがに売田には虎麩のゴルフの腕は披露できないかもしれないが
叔母麻が手足をもがれて画餅に帰した社会主義政策を
さらに煌びやかにして売田がスーパーのチラシよろしく大書しているが
もちろん民衆には嬉しいロシア革命宣伝文句のような惹句で
実現可能性を考えなければ売田政策のほうがいいに決まっている
しかし叔母麻以上にすぐに手足をもがれそうな売田ではないか
過阿多阿が大統領になった時に学生ながらに小遣いで彼の本を買っ
あのアメリカがこれから変わろうとするのだ!
と胸を熱くした幼い未熟な青二才政治観の時代が長く心に続いて
冷眼にがっかりし栗豚に期待し叔母麻に期待したものだが
どれもこれもが大がかりな青島幸男に終わってしまったものだ
性懲りもなく民衆を騙し騙し騙し騙して
どうせ私をだますなら死ぬまでだまして欲しかった*と
最後には呟かせる胴元たちの手つきはこの頃あまりに露骨で
昔の私と同じように幼い未熟な青二才政治観に留まっている人たち
売田になったらまるでなにかが変わるかのようにはしゃいでいる
ナポレオン時代に大流行作家となり外交デビューし
ルイ18世治下にイギリス大使ベルリン大使と首相を務めた
シャトーブリアンは1848年の2月革命勃発を聞いて
「革命でなにが変わるというのですか?」と言ったが
この嘆息を聞かなかった後世がロシアや中国の革命を起こしていく
売田の掲げる惹句が約1年半で反古になり切るのに賭けようか?
惹句に引き寄せられた死せる魂たちが野垂れ死んでいく四年間が来る
今際のきわには「
赤いルビーの指輪に秘めたあの日の夢もガラス玉。
割れて砕けた東京ブルース」ならぬ民主主義ブルースや社会主義ブルース
*西田佐知子「東京ブルース」(水木かおる作詞)
https://www.youtube.com/watch?
生きていたようだったのに
死んでしまって
もう
おしゃべりもできなくなった人たちを
たくさん見てきた
あの人たちが
どれほど生き生きしていたか
どれほど肉が体に満ち
体温が熱いほどだったか
目の前によく見つめてきたので
信じられないな
まったく
と
思う
生きているとか
生きているようだとか
生き生きしているとか
信じられないな
まったく
と
思う
いろいろな苔が
透明ガラスの球体のなかの土に植えられていて
その中には小世界があるように見える
そんな贈り物をもらったのだが
環境を維持するのには
これが
なかなか大変で
苔はすぐに乾いて
黒っぽくなりはじめるし
水を噴霧器でやるにも
どのくらいやればいいのか
程度がわからない
いっそのこと
と思って
コップでザブッと水を入れてみると
なかはザブザブになったが
案外とちょうどよかったりする
それでも
水を入れすぎたかな
と思って
ティッシュで水を吸い取ったりする
説明書には
苔の色が悪くなったり
黒っぽくなったりしても
べつに心配はいらないそうで
土が乾いたりしても
それで苔が死ぬわけでもないそうだが
塩梅というのが
なかなかわからず
毎日どこか不安げに見つめる
そうしているうちに
わかったのだ
透明ガラスの球体のなかの
この小世界は
まさに
世界そのものなのだな
まさに
こころそのものなのだな
と
うつくしい街や
海浜や
高原に旅したときでさえ
投宿したじぶんの部屋の窓からの眺めと
となりの部屋の
べつの方向へと開かれた窓からの眺めでは
まったく異なる
まったく異なる美や
楽しみがある
だから
見られるかぎりは
インターネット上に他人があげている写真を見る
さまざまな雑誌や写真集に載っている写真を見る
わずか1ミリでも
1センチでも
じぶんの地上滞在のあいだの視野を広げて
持ち去っていくために
わずか1ミリでも
1センチでも
梶田不動産の桜田弘は間取り図を持ってきていたので、
ふつうの一戸建てによくありそうな間取りで、
居間といっても六畳ほど。
しかし、それだけしかない。
他にはなにもない。
居間なら、どこの家にも置かれていそうなもの、
庭に面した壁によく付けられていそうなエアコンもない。
テーブルには、しかし、
赤いテーブルクロス、という雑な見方をしたが、
金色の丸い布や、そこに描かれた円形には、なぜか、
「あ、触らないでください」
戸田直之が制止した。
「問題はなさそうですが、一応、
桜田は手を戻し、無意識に触れようとしてしまっていたことに、
「二階を見てきてもいいですか?」
物件を管理する不動産屋として、と言い加えようと思ったが、
「ええ、どうぞ。二階は、もっと、なんにもないですけれどね」
そう言って、居間のドアのほうに手のひらを向けた。
それまで黙って、
「あの…、私も二階を見させていただいてよろしいですか」
と戸田に聞いた。白崎がどんな家に住んでいたのか、
「ええ、どうぞ。本当に、なんにもないんですけれどね」
戸田はそう答えると、ふたりが廊下に出るに任せた。
廊下には、居間からもキッチンからも出られるようになっている。
桜田と島田は居間のドアから出た。
廊下の奥の突き当たりにドアが見える。見ただけでは、トイレか、
トイレと浴室は、廊下に沿って左側に作られている。
トイレの前を通った時、桜田は少し寒気を感じた。
すぐ隣りの浴室の前を通った時には、なにも感じなかった。
クロ―ゼットのすぐわき、やはり左に、二階に上がる階段がある。
桜田は、クローゼットの引き戸を開けてみた。
階段を上がりかけながら、桜田は、
「なにもないですねえ、ここにも」
そう言う島田を見ながら、島田もトイレの前を通りながら、
だが、聞かなかった。
階段も、掃除をしたばかりのように埃ひとつなく、
一段一段上がりながら、桜田は、