5 一段一段世界が変質していくのが階段ではないかと桜田弘は思う
梶田不動産の桜田弘は間取り図を持ってきていたので、白崎の家の居間に立ちながらそれを開き、警官の戸田直之に見せた。
ふつうの一戸建てによくありそうな間取りで、変わったところは特にない。
居間といっても六畳ほど。二畳ほどのキッチンといっしょになっているので、少し広く見えるが、四人用ほどの大きさの丸いテーブルが中央に置かれ、わきに小さなソファが置かれているだけで、もういっぱいに見える。
しかし、それだけしかない。
他にはなにもない。
居間なら、どこの家にも置かれていそうなもの、テレビやステレオや書棚や、他の小物を入れるためのラックなどが、まったくない。
庭に面した壁によく付けられていそうなエアコンもない。
テーブルには、しかし、厚めの赤い布地のテーブルクロスが掛けられ、その中央にはさらに、金色の丸い布が置かれていて、魔法円のようなものが黒で描かれていた。
赤いテーブルクロス、という雑な見方をしたが、この赤はなんというのだろう、と桜田は思った。ワインレッドというやつだろうか。もう少し発色がいいようにもみえるが… なにか、もっとふさわしい色名が頭に浮かんでこないかと、意識の中を少しさまよってみたが、もともと自分の頭の中には多様な色名が蓄えられているわけでもないのを知っているので、後で色彩事典でも見てみようと思い、諦めた。
金色の丸い布や、そこに描かれた円形には、なぜか、思わず触れてみたくなるような雰囲気があった。桜田は、無意識に指を伸ばしていた。
「あ、触らないでください」
戸田直之が制止した。
「問題はなさそうですが、一応、それも調べることになるかもしれないので」
桜田は手を戻し、無意識に触れようとしてしまっていたことに、あらためて、じぶんで驚いた。
「二階を見てきてもいいですか?」
物件を管理する不動産屋として、と言い加えようと思ったが、戸田はすぐに、
「ええ、どうぞ。二階は、もっと、なんにもないですけれどね」
そう言って、居間のドアのほうに手のひらを向けた。
それまで黙って、桜田のわきで居間やキッチンを眺めていた島田一郎も、
「あの…、私も二階を見させていただいてよろしいですか」
と戸田に聞いた。白崎がどんな家に住んでいたのか、この機会によく見ておきたいと思ったからで、野次馬根性のようで恥ずかしい気もしたが、この機会を逸すれば二度とここには入れないだろうから、という思いがあった。
「ええ、どうぞ。本当に、なんにもないんですけれどね」
戸田はそう答えると、ふたりが廊下に出るに任せた。警官でないふたりを自由に二階に上らせても、なんの問題もないのを確信しているようだった。
廊下には、居間からもキッチンからも出られるようになっている。
桜田と島田は居間のドアから出た。
廊下の奥の突き当たりにドアが見える。見ただけでは、トイレか、浴室か、クローゼットかわからないが、間取り図から、クローゼットだとわかる。
トイレと浴室は、廊下に沿って左側に作られている。
トイレの前を通った時、桜田は少し寒気を感じた。
すぐ隣りの浴室の前を通った時には、なにも感じなかった。
クロ―ゼットのすぐわき、やはり左に、二階に上がる階段がある。トイレの上を上っていくかたちになっているらしい。
桜田は、クローゼットの引き戸を開けてみた。二畳ほどの広さの物置きだが、なにも置かれていない。まるで掃除をしたばかりのように、埃さえもなかった。もちろん、最近まで家族が住んでいたはずだとすれば、異常な光景である。
階段を上がりかけながら、桜田は、後ろに付いてきた島田の顔を見た。
「なにもないですねえ、ここにも」
そう言う島田を見ながら、島田もトイレの前を通りながら、寒気を感じなかっただろうかと、聞きたくなった。
だが、聞かなかった。
階段も、掃除をしたばかりのように埃ひとつなく、きれいな状態だった。
一段一段上がりながら、桜田は、階段を上がるというのはなにか不思議なものだ、と思った。一段一段上がりながら、じつは一段一段世界が変質していくものなのではないか、階段とはそういうものだったのではないか、と思った。そう思いながら、ヘンなことを今のじぶんは考えているな、と思った。
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