2024年11月28日木曜日

生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く

 

 

 

外で私を待っていたのは、別の夢だった。

.L. ボルヘス『1983825日』

 

 

 

 

メロディや

テンポや

その他の音の効果を結い留め

ひとつの実体であるかのようにして

数分の

音楽作品を出現させる

ポップス

 

その歌詞というものを

あらためて

文字で眺めなおすと

ときどき

唖然とするほどの

意味不明に陥ってしまうことが

ある

 

いちばんこれを感じるのは

サザンオールスターズの『TUNAMI』や

井上陽水の『少年時代』で

このふたつは

ただ耳で聴いているぶんには

わかる

わかる

よくわかる

という感じがしっかりあるため

歌詞を見直した時のわからなさ感は

けっこう半端ない

 

両方の歌とも

夢の話に言及しているところがあって

これがまた

わからなさを

ぼんやり

ほんわか

増幅するのだが

ふたつを

続けて聴き直したりすると

『少年時代』と『TUNAMI』が連結されて

こころの中に聞こえ続けたりする

 

TUNAMI』のほうでは

 

夢が終わり

目覚めるとき

深い闇に

夜明けが来る

ほんとは

見た目以上

打たれ強いぼくが

いる

 

と歌われ

『少年時代』のほうでは

 

夢が覚め 夜のなか

ながい冬が 窓を閉じて

呼びかけたままで

夢はつまり 想い出のあとさき

 

とか

 

目が覚めて 夢のあと

ながい影が 夜にのびて

星屑の空へ

夢はつまり 想い出のあとさき

 

と歌われるのだが

TUNAMI』のほうでは

いちおう

「夢が終わ」って

「目覚める」と歌われているのに

『少年時代』のほうでは

「夢が覚め」

「目が覚めて」も

あいかわらず「夜のなか」だし

「ながい冬」は

「窓を閉じて」

「呼びかけたまま」だし

「ながい」影は 

「夜にのびて」

「星屑の空へ」だそうで

無明はそう簡単には終わらない

という感触が

どの節がどの節に繋がっていくのか

いまひとつ不分明なまま

提示されていく

 

空海が 『秘蔵宝鑰』に記した

 

生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 

死に死に死に死んで死の終わりに冥し 

 

という慨嘆に

どうやら

井上陽水の『少年時代』は通じていくようで

このポップスが

はて

じつは

陽水和尚の法話であったか!

と気づくと

ポップスのかたちで

現代社会では

なんと多くの方便による法話が行われているのか!

と気づかされもし

ポップスや歌謡曲や演歌や俗謡のたぐいが

どれも『閑吟集』などのたぐいに見直されてきて

歌い手たちの吐く

一見浅薄な

軽佻浮薄な文言のひとつひとつが

空也上人の口から次々と出る

仏の小さな像のように

宙に舞っていく

気がする

 

夏が過ぎ 

風あざみ

だれのあこがれに

さまよう

 

さまよっている

感じている

のは

だれか?

 

その「だれ」は

べつの「だれ」のあこがれに

たぶらかされ

続けている

のか?

 

 

 

 

サザンオールスターズ『TSUNAMI [2018 Remaster]

(86) TSUNAMI [2018 Remaster] - YouTube

 

井上陽水『少年時代』

(86) 少年時代 (Shonen jidai - Boyhood days), 井上陽水(Yoshi Inoue) - YouTube

 

少年時代 井上陽水





森のみどりを眺めようとして

 

 

 

ZARDの坂井泉水について

こころ惹かれる

エピソードは

東京・信濃町の慶応義塾大学病院の非常階段付近で

転落死を遂げる直前

病院内でのお気に入りスポットであった

スロープの手すりに上がり

雨上がりの神宮の森のみどりを眺めようとして

誤って転落した

というもの

 

たとえ

つくり話だった

としても

 

神宮の森のみどりは

転落する前に

見えただろうか

 

後頭部を強打し

2007526

午前542分頃

大量の血を流して倒れている状態で

坂井泉水は発見され

そのまま意識は戻らず

脳挫傷により

翌日の午後

死去した

 

5月の終わり近くならば

4時をまわれば

もう

夜は明ける

朝のひかりの中に

森のみどりも

よく見えるにちがいない

 

神宮の森というのは

慶応義塾大学病院から近い

神宮外苑の森のことだったろうが

病院の西側にある

新宿御苑の森は

見えなかったのだろうか

神宮外苑のすぐ東の

赤坂御用地の森は

見えなかったのだろうか

 

坂井泉水は

車椅子での移動のためにスロープ状になっている

高さ約3メートルの地点から転落した

と見られていて

警視庁四谷署は当初

事故と自殺の両面で捜査した

 

結局

事故とされたようだが

この点については

今でも

疑問を持つ人が少なくない

 

スロープは

実際には2m70cmほどであり

そこの手すりから

駐輪・駐車場へ

頭を下にして落ちたとしても

怪我はするにせよ

死に至るほどの怪我にはならないのではないか

というのだ

 

とはいえ

2m70cmの高さの手すりから落ちただけでも

落ちぐあいや

打ちどころによっては

脳挫傷を起こすことはあり得る

と思われるので

事故説を

否定できるものではないだろう

 

所属事務所は

転落の原因について

「日課の散歩から病室に戻る途中

前日の雨により踊り場で足を滑らせた」

としたものの

このスロープの現場写真から考えれば

踊り場で足を滑らせても

ふつうなら

手すりの内側にからだは倒れ

外には落ちないのではないかと思われる

 



 

とはいえ

倒れる際のからだの重心の微妙な移動ぐあいで

手すりの外に

みごとに落ちてしまった

ということも

完全に否定できるわけではない


坂井泉水が慶応義塾大学病院にいたのは

肺へのがんの転移に対し

抗がん剤治療をしていたためだった

 

前年の2006年には

子宮頸がんが見つかって

病巣摘出手術が行われていたし

遡れば

2000年以降に

子宮内膜症や卵巣のう腫や子宮筋腫などで

通院が続いていた

 

抗がん剤の現実や

摘出手術がからだに与えるダメージを

間近に見たことがある者なら

2006年から2007年の坂井泉水の身体的困難や

未来の困難さを

容易に想像できるだろう

 

自殺説が

ゆえなきものとも言えない

理由が

ここにある

 

1993年リリースの『負けないで』や

1997年リリースの『永遠』は

2000年以降

とりわけ

2006年以降は

なにより

坂井泉水本人にむけての歌ともなっていた

と見ていいだろう

 

雨上がりの神宮の森のみどりを眺めようとして

スロープの手すりに上がった時

自身が作詞した

この歌詞が

意識を

よぎらなかったか?

 

守るべきものはなんなのか

この頃

それがわからなくなる

 

きみとぼくとのあいだに

永遠は

見えるのかな

 

それとも

もっと

あかるく

こちらのほう

だったか?

 

あの日のように

輝いている

あなたでいてね

 

負けないで

もう少し

最後まで走り抜けて

 

どんなに 

離れてても

こころは 

そばにいるわ

 

追いかけて

はるかな夢を

 

 

  

 

負けないで

https://www.youtube.com/watch?v=_4DJkOUU648

 

永遠

https://www.youtube.com/watch?v=rlsERJeGz3A

 

https://www.youtube.com/watch?v=dtaORw7NUgE

 

 


2024年11月26日火曜日

風の街


 

 

嫌いでもないが

寺尾聰は

そう好きでもない

 

似合わない

サングラスをかけた顔が

かっこ悪かったし

髪の毛も

関の弥太ッぺみたいで

ビミョーだった

 

声も

歌いかたも

そう好きでもない

 

けれど

「ルビーの指輪」で

冒頭から

叩きつけてくる

 

くもり硝子のむこうは

風の街

 

というのは

決定打だと感じる

 

くもり硝子のむこうに

風の街

なんて呼びたい街があったら

ちょっと

いいな

と思ってしまう

 

けれど

もっといいのは

 

あれは八月

まばゆい陽のなかで

誓った

愛の

まぼろし

 

というところ

 

このイメージの後だと

「孤独が好きなおれさ」

なんていう

通俗の極みの

陳腐な

ことばも

ぴったり嵌まってくる

 

だれが書いた歌詞かな?

と思うと

やはり

松本隆なのだ

 

背中をまるめながら

指のリング

抜きとったね

おれに返すつもりならば

捨ててくれ

 

というような

ことは

わたしにもあった

 

「捨ててくれ」

とは

言わず

きみの娘が

ちょっと大きくなったら

はじめての

リングの練習として

あげたらいい

というようなことを

言った

 

そのように

した

らしい

 

他の男とのあいだに生まれた

娘の指に

リングは嵌められた

はずだ

 

娘も

夫も知らない

リングの物語を

彼女と

わたしは

知っている



 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=yuhh2l8m6_Y

 

 




さよならの国


 

 

 

竹内まりやの「セプテンバー」を聴いていて

歌詞のなかに

気になったところがあった

 

ネットで歌詞を調べたら

わきに出てきた

BANANA REPUBLICの広告写真の男性モデルが

辛子色の薄手のセーターを着ていた

 

辛子色のシャツ

追いながら

飛び乗った電車のドア

いけない

と知りながら 

ふりむけば

隠れた

 

歌のこういう出だしに

AIが自動的に合わせて出して来た

写真だろう

 

この歌が発表された

1979年には

あり得なかったような

こんな

ネット画面の反応

 

こんな時代に

なってるんだよね

 

気になったのは

でも

「辛子色のシャツ」のところではなくて

 

September    そして九月は

September さよならの国

 

のほう

 

「さよならの国」

と来たか

やられたな

これには

 

竹内まりやが自分で書いたのかな?

と思ったら

松本隆でした

 

やっぱり

 

September    そして九月は

September さよならの国

 

なかなか

書けないよね

「さよならの国」

とは

 

歌詞ぜんたいでは

彼氏が

年上のひとに会いに行ってしまう時の

若い女の子のこころを

描いているらしい

 

夏には

「トリコロールの海辺の服」なんか

着たりして

仲よかったのに

 

September    そしてあなたは

September 秋に変わった

 

「秋に変わった」が

「飽き」をも思わせて

若い恋の

ふいの終わりの

せつなさ

 

若い

せつなさ

 

会って

そのひとに頼みたい

彼のこと

返してねと

でも

ダメね

気の弱さ

くちびるも

凍える

 

だれのくちびるも

ぼくは

凍えさせたりはしなかった

と思うけれど

1979

やはり

年上のひとに会いに行っていた

 

長浜美影さん

 

絶世の美女

といっていいひとで

「色づいたクレヨン画」の街で

たびたび

会い続けた

 

お茶の水のマロニエ通りを

幾度も

行き来し続けた