1
清水鱗造の詩集『まんずナマズ捕ってな』は、『白蟻電車』
だから冒頭に、『肉柱園』や『昆虫ベッド』
その後に来る『亀甲』も、詩集『まんずナマズ捕ってな』
ところが、四つめの『角砂糖花』の冒頭の
朝方に気分の四隅が
に逢着すると、読者はたじろぐ。
文句なしに「気分の四隅」は名句であり、決定打だからだ。
ヤベえな、と思う。
なにがヤベえかというと、令和6年前後の日本の空気の内臓を掴ん
たぶん、『肉柱園』や『昆虫ベッド』や『亀甲』
ヤベえな。
と、ちょっとふり返ると、
『肉柱園』のはじめの
きのうは昆虫もやってきた
小さくても大きくても
丸呑みにされて
胃から腸へ
日々
消化されて砂にこぼれる
溶けた形の生物
半溶けで砂上に
いくつかの塊と液体が絡んで
話を作っている
が燦爛としている。
ああ、そうか。
ここの完成度に気づかなかったのは、この後、
私なら、ここで切って一篇に仕上げてしまう。
そのほうが、この十行は生きる。
2
ともあれ、『肉柱園』のはじめの燦爛を発見し直すと、
『犬の基礎』という本も
垂れていた
おもにゾウ色の
肉塊が立ち並び
の、とりわけ「おもに」
さあ、来たぞ。
癖になるやつで、こういうところに引っかかり出すと、
肉柱園に入ると
広告紙が落ちていて
見下ろすと
「微分するとあなたはいい人
またあなたは微分すると悪い人」
というコピーが見えた
の旨みがグイーッと来るようになる。
3
とはいえ、詩集『まんずナマズ捕ってな』は、文句なしに危険な『
製粉道路を行くと
福耳スタイルの実が
左右に成っていた
夜のゲジゲジ這いといえば
くるみ内の話でしょう
何よりも地植えです
花の穂と
手のひらの空押しを
配置すれば
重層的な付け文
十行という短さもいい。令和中期には国語の教科書に載せれば、
『草の穂あつめ』の次には、『新人クラゲ』か。
またしてもクラゲが
採用される
みんな地元の角煮を
祝いに持っている
添えてある昆布の根茎が
髑髏状に
ごつごつしていた
クラゲからは
たくさんの幼生が散っている
ここには『草の穂あつめ』よりもゆとりがあって、
もちろん、『飛沫』を置くのもいい。
魚の頭を煮ろ
骨を湯がいて
燐を濃縮
ちん魚は気にしないで
嚢の裏にある
泣きどころを確認し
骨を煮ろ
一緒ガールは
赤い斑点に満ちていた
「一緒ガール」が、過ぎ去った一時期の日本社会を濃縮しており、
「一緒ガール」はもちろん、14篇ほど前に載せられている詩『
一緒ガールは
黒葛まみれ
表面に点々がいっぱいな
ハシゴでもいい
脚立でも
驚異の5行詩だが、ここに現われていた「
ああ、詩集『まんずナマズ捕ってな』は、構造してるぞ。
清水構造。
4
詩集の最後の詩『丁寧に』は、当然ながら、
そう思って、
まんずナマズを捕ってな
はしごでもいい
脚立を使ってもいい
壇上に
魚を供えて
右耳に藁しべを入れ
左耳から出す
その繰り返し
を虚心坦懐に読んでから、
ナマズがウナギを
丸呑みしようとしている真鍮の像
大小一対になった銅像だ
でも呑む動物も呑まれるものも
全部いっしょに腐っていく
とすでに書かれていて、詩集『まんずナマズ捕ってな』
そればかりか、最後の詩『丁寧に』が祈りのように招聘する「
「ハシゴ」がどうして「はしご」
以前、詩集『ボブ・ディランの干物』で「私はじつはカエルです」
ウナギではない。
*清水鱗造詩集『まんずナマズ捕ってな』(灰皿町発行、2024
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