永井荷風が
戦後の詩集『偏奇館吟草』に収めた
『震災』という詩は
昭和も去り
平成も去った
令和の今になって読み返すと
なんだか
いっそう身に染みて来る気がするのだが
こんな感慨を持ってしまうのは
わたしだけだろうか?
今の世のわかい人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の芸術を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり
團菊はしおれて櫻痴は散りにき。
一葉落ちて紅葉は枯れ
緑雨の聲も亦絶えたりき。
圓朝も去れり紫蝶も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の兒なりけり。
或年大地俄にゆらめき
火は都を焼きぬ。
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残煙となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の芸術を。
くもりし眼鏡をふくとても
われ今何をか見得べき。
われは明治の兒ならずや。
去りし明治の兒ならずや。
明治という言葉を
昭和に置き換えてみれば
ほぼこのまま
わたしの思いとなりそうでもある
もちろん
団菊だの緑雨だの圓朝だの
柳村だの鴎外漁史だのを
昭和の有名作家や役者たちに
替える必要はあるものの
見に行ったことはないが
投げ込み寺とも呼ばれる浄閑寺にも
この詩が石碑に
彫られて存在しているという
無名の娼妓たちを埋葬した浄閑寺の裏には
「新吉原総霊塔」というのがあって
荷風のこの詩を刻んだ碑は
その正面にあるらしい
この場合
「こよなく」という言葉を付してよかろうが
生涯にわたって
「こよなく」娼婦たちを愛した
荷風にふさわしい碑の作り方かもしれない
ここでは
われは昭和の兒ならずや。
去りし昭和の兒ならずや。
と心のうちに呟いておきたいだけなのだが
今の世のわかい人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の芸術を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり
という荷風のきっぱりした言いっぷりは
やはり
ずいぶん見事に見える
人はなにかと
「今の世」を
わかったふうに語りたがるものだし
「また来る時代の芸術」も
あれこれ予想して講釈したがってしまう
「わが青春の夢もまた消え」たゆえに
「われにな問ひそ」と命じる荷風の
終わった人っぷりには
処世の極意のようなものさえ
感じられる
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