2015年7月11日土曜日

靡くことにばかり長けた葦たちの



慈しめば物は思いを返してくるものの
そんな言葉
慈しみなどという語に縋って
世界を渡って行こうという時期にも
終わりはいずれ来る

そうして
終わりとか
さらには死とか
そんな言葉に地位を与えていた時期そのものにも
終わりはいずれ来る

不慮の死も
暴行も戦争も
どのような災害も
裏切りも
引き離しの恩寵の顕われだとわかる頃
肌の中も外も
さして区別する必要はないとわかる
まるでその場その場の
温度のように
日照の加減のように
此処にも何処にも
自分などおらず
それでも何の支障もなかったと
ずいぶん遅ればせに気づくことになりながら

他所で屠殺させるまゝにしてきた
あれら動物たちの最期の表情が
誰の生の最期にも貼り付いてくるだろう
血にはそれらの供物の顔が
無数にぷつぷつと浮き出て来る
肌にもそれら供物たちの目や口や顔の歪みが
滲み上がって来るが
それも悲惨なことでもなく
罪という語を宛てるべき大袈裟な
事態の成りゆきでもない

しかし光明もなく
はじめからそうだったが
もうその幻もなく
それがいかにも正しいのだと全身の細胞が納得しているので
神はつねに不在のかたちで顕われる*
それもなるほどもっともなことと
思いの透明な糸がまたわずか繁茂しようとしては
…止まる
のではないが
紛れていってしまう
あまりに多くの思いの糸の
透明な絡まりの中へ
まるで全人生がはじめから例外なくそうだったように
なんの意味もなく
しかし時には嬉々として
誰に向けられた祝祭でもない
巨大な宇宙の沈黙の中の
靡くことにばかり長けた葦たちの
小さな小さな
ざわめきのように



*シモーヌ・ヴェイユ



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