2015年7月24日金曜日

ぼくだけはきみを守る



父は仕事上の失敗や
ことに酒の上での失敗が多かったが
ぼくの幼時
そのたびに家では修羅場がくり返された

父が帰宅すると
幼いぼくは
寝ていたところを引き摺り起される
母はぼくの首にネクタイを巻き
「今この子を殺して私も死ぬ!
と叫びながらぼくの首を締め上げたり
包丁をぼくの首筋に近づけて
「今この子の首を切ってから私も死ぬ!
と叫びながら包丁をもっと首に近づけた

何度も何度もこれをやられるうち
本当に母が首を絞めたり
包丁を首に当てたりしたら
その時は容赦なく蹴り倒して
ぼくは家を飛び出そうと思うようになった
パジャマ姿で家を飛び出したら
どうしたらいいのだろう
交番に駆けこめばいいのか
それともどこかの知り合いの家や
よく行くパン屋さんや
味噌屋さんのシャッターを
夜中でもバシャバシャ叩いて
助けを求めたらいいのだろうか

首を絞められたり
包丁を近づけられたりしていない時も
昼であれ朝であれ
こんなことを考えるようになった
幼いなりにいろいろなやり方を頭に溜め込み
就寝時間には
今夜もまたやられるかもしれないから
万全の心構えだけはしておこうと
いつも思うようになった
寝る前の歯磨きや
トイレを済ませながら
家の中の此処をこう走って
あっちに行って
そうしてドアを開けて走り出るんだぞ
と自分に言い聞かせた

あゝみなさん
ぼくはこんな幼時を生き延びてきたんです
家の中でいつも危険だったとは言わない
でも父が酒に酔ったり
母がヒステリーを起こした時には
家ほど恐ろしい場所はなかった
怒号が飛び交い
首にはネクタイが捲かれ
包丁が当てられる
どうしてそんな幼時を生きねばならないのです?
ぼくの幼時はこんなだった
誰にも言うなと脅され続けてきた
言ったとしても誰も信じなかっただろうし
いい父さんじゃないの?
いいお母さんじゃないの?
世のオバサンオジサンなんて
そんなことしか言わないんだ
幼稚園前後の子どもにネクタイ捲きは普通ですか?
包丁の首当ては普通ですか?
ぼくはそんなふうに幼時を過ごす他なかった
親たちがいつも酷かったわけじゃないが
急に狂乱する親たちを
ぼくは心底恐れつづけた
あれから何十年も経って
ぼくは今ついに言葉でこのことを記す
幼時のあれらの日々と夜々
家の中であんな脅えきっていたぼくを
言葉によってだけでも
救い出しに行くため
誰も助けてくれなかったあの子の首に
もうネクタイを捲かせず
包丁を当てさせもしないように
生き延びた大人のぼくが駆けつけ
ぼくだけはきみを守り
きみに暴力は振るわない
振るわせない
そう強く言いながら
フィクションを作ってでも
まったく違う穏やかな親たちの
いるべき世界へと
言葉によって
救い出しに行くため




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