2017年8月18日金曜日

ペットか 「家族」か

  
いつ
どこに出かけるかわからない
そんなことも
楽しみのうち
そんなことこそ
楽しみ

だから
もう
犬も猫も飼わない
手間のかからないメダカも
飼わない

近ごろ子犬を飼い始めて
○○ちゃんが云々とか
○○ちゃんは男の子だからとか
賢いけれど頑固な性格でとか
いろいろ
めんどくさくなってきたかなぁ…
という人とたまにメールしてたら
「なにも飼わないの?
と聞かれたので
「移動の自由の確保のためにペットは飼いません
と書き送ったら
「犬はペットではなくて家族ですから!
ピシャリ!
という感じで返事が来て
(ほら、始まったよ
と思った
それに対しては返事もしなかった
もう
この人は切ろう
と思った

ペットか家族か
そんなことを議論しても
しょうがない
そもそも
ペットショップで買ってきたくせに
とも思うが
そんなことを書き送ってもしょうがない
ひょっとして
家族ショップででも買ってきたのかな
などと
皮肉を書き送ってもしょうがない
飼い始めた子犬を
その飼い主が家族と感じるようになったのなら
それはそれで御自由に
という話に過ぎない

飼い出した子犬を
家族のように感じている
思っている
と正確に言ってほしいところだが
家族だ
と直喩を捨てて言い切るところに
小犬への情愛の強さをちゃんと感じ取ってくれということだろうが
そんなことぐらいはわかっているから
いまさら「家族ですから!」という言い方をしてこなくてもいい

こちらとしては
「家族ですから!」に対して
やっぱり
「ほんとに『家族』なんですかね?」
との問いは持ち続ける
自由というか
権利というか
それは確保したいね
「家族のようなんですから!」
「家族のように思っているんですから!」
はOK
しかし
「家族ですから!」は
ちょっと違うんじゃないのか
と思う
自由というか
権利というか
確保したいね
それは

「家族」以上じゃないのか
とも思うし
「家族」なんていうものに染まりえない別次元のものじゃないのか
とも思うし
飼い主がいくら「家族」と呼ぼうとも
他人にとってはどうしてもそうは見えないし
行政もそうは扱わないし
本気で「家族」と言い張りたいのなら
そこのところ
もっと頑張ったらいいんじゃないの?
とまで思う

ペット
と他人が呼んで来たって
なにも低めて言っているわけではない
ペットという語と「家族のように大事」という意味とが
重なって使われ得ないという意味論を持っているわけでもない

まさか
お子さん
とでも呼んでほしいわけ?
それとも
○○ちゃん
お宅のお子さん…
押しつけて来たいわけ?
こんな呼び方?

ペットとして
ペットショップで
ある子犬を飼って来て
名づけをし
毎日エサをやり
身体を洗ってやり
抱っこし
いっしょに眠り
年中ペロペロされ
そうするうち
ペットという概念でカバーし切れない情愛を持つようになり
○○ちゃんという名前で呼ぶ他には
どうにも適切な呼び方がなくなっていく経験をし
あえて言えば「家族」かな
そうだ
もう立派に「家族」の一員だ
そんなふうに感じるようになっていく過程はよくわかるものの
その○○ちゃんばかりか
犬猫全般を「家族」と呼べ!
と他人にも強要するようになると
これはもう
なんというかネ
かんというかネ
ワンというかネ
ニャンというかネ

…なのであるよ



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