上野から
日暮里までの
わびしさは
高台に見える
谷中のお墓のならぶ
わびしさか
日の暮れる里
日の暮れる里
と
むかし
つぶやきながら
電車で
過ぎていった
あたり
荷風*なら
数行で
江戸の深みに
入る地を
東京っ子というのに
疎すぎるから
江戸の
文化の深みを
浅く
お墓のならびと
見るだけで
日の暮れる里
日の暮れる里
と
つぶやいて
だから
わびしい
無知
過ぎるゆえに
*永井荷風「上野」(昭和二年六月)
「 一昨年の春わたくしは森春濤の墓を掃ひに日暮里の經王寺に赴いた 時、その門内に一樹の老櫻の、 幹は半から摧かれてゐながら猶全く枯死せず、 細い若枝の尖に花をつけてゐるのを見た。 また今年の春には谷中瑞輪寺に杉本樗園の墓を尋ねた時、 門内の櫻は既に散ってゐたが、 門外に竝んだ數株の老櫻は恰も花の盛であつたのみならず、 わたくしは共幹の太さより推測して是或は江戸時代の遺物ではある まいかと、暫く佇立んでその梢を瞻望した。 是日また大行寺の門前を通り過ぎて、わたくしは偶然東都歲事記に 記載せられた垂絲櫻の今猶すこやかである事をも知ったのである。 わたくしは櫻花の種類の多きが中に就いて其の樹姿の人工的に美麗 なるを以て、垂絲櫻を推して第一とする。
谷中天王寺は明治七年以後東京市の墓地となった事は說くに及ぶま い。墓地本道の左右に繁茂してゐた古松老杉も今は大方枯死し、 櫻樹も亦古人の詩賦中に見るが如きものは既に大抵烏有となったや うである。根津權現の花も今はどうなったであらうか」。
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