2018年11月18日日曜日

ことばのこととなると


                                                                        
ことばのこととなると
多く費やす側のほうが優れているとでも
思い込まれる場合が多いが

しかし
受け手となるほうが
はるかに
高度に優れているとぼくは見ている

語られ
記されたことばは
受け手にとっては現象であって
聞いたり
読んだりは
どう怠惰に行おうとも
まったくこちらのものではない
まったくの他者の
現象の
探索となり
解読の試みとなる

語り
記すことは
科学とはなりえないが
聞き
読むことは
どう怠惰に行おうとも
科学のはじまり
他者や異物と向きあう時にのみ
知ははげしく動きはじめ
その時
あれほどさまざな宗教神秘主義が求めてやまない無我が
いやおうなしに発生する
知は
無我の瞬間にしか働くことはないから

手にとられなければ
本は
ただの場所取りの厄介物
手にとられ
黒い線のシミを前にして知が発動する時
異次元がはじめて開ける

ことばを
ことばとするのは
受け手のみ
受け手がみずからのことをすべて捨てて
知の降臨を受ける時のみ

…なんと
古い読者論の一端か
しかし
こんなことも
ときどき
誰かが思い出さないと
すぐに
忘れられてしまい
語り手や
書き手ばかりが
不用意に
称揚されてしまったりする

どこまでも
対話
でしか
ことばは
ことば
たりえないことが
奇妙なヒロイズムから
忘却されてしまって



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