2019年8月15日木曜日

もうたいていの書籍は要らないのであり



行くところがわからないほど
崇麗なものはないだろう
すべて偶然の神託によるべきだ
ゴマと火と塩とヴィーナスの
先見にたよるばかりだ
西脇順三郎「生物の夏」in「禮記」



ツイッターで
最近の社会問題についての論調をいくつか調べているうち
それぞれの
ツイートに
纏わりついてくる
リツイートだの
お勧めツイートだの
寄り道していく

そうするうち
元々の問題圏など遠く離れ
つい数十分前
スマートフォンを点してツイッターのアプリを開くまで
こちらの意識の中
全くなかったテーマやら
感情表現やら見解やら認識の歪みや奇妙なほどの真っ当さやら
かなりの数と量とヴォリュームと奥行きで
いつしか
包んでしまっていて
もう
出られない

興味の松明
この
言語配列の
巣窟
向け続ける
かぎり

あ、もう二時間半
経っていたのだな
気づくのは
腰の疲れを覚えたり
重ねた脚の痺れに恐れを感じたり
目の焦点が合わなくなってきていたりして

離脱しよう。今は。

そうして
巣窟のそのあたりから
数時間後に
あるいは翌日に
また
探訪掘削を繋げていく

こうしながら数週間が経って
この世のいわゆる令和元年(2019年)の8月は
肉体の揺蕩っている界では最低限の心身維持だけをしたまま
ツイッターの管の
先へ
先へ
探訪
だけ
続いて
いた

ツイッター
関しては
時間の無駄であるとか人心の汚れの極みの沼であるとか
否定的な言辞が
理性的ぶった人々から多く吐かれるが

わたしの見出したのは逆で

どんな書物よりも映画よりもヴァラエティーよりも面白い
作家でもライターでも芸術家でもクリエイターでもない人々の
見事な言葉配列の雲海だった
最近の社会問題などこれっぽっちも意識に上らせず
歴史とも社会とも時代とも人類とも接触せず
ひたすらソックスとスカートの色合わせ
悩む少女が居たり
デモ
なんの関心も持たず
職場の同僚
日々ムカついている
香港の青年が
飼っている金魚の数匹を描写し続けていたり
韓国
居て生活している日本人の若者や中年たちが
日韓関係のギクシャクなどとはなんの関わりもなし
ソウルの小さなレストランで働いていたり
地方の酒場で昨日は仕事をミスって
主人からひどく怒られて落ち込んだと書いていたり
ミャンマーからタイ
ふらふらやってきた旅の青年が
気持ちいいもんだからどうしても日中はビールばっかり飲んでると
夜になるとマッサージ
行ってそれからまたビール飲んで寝るとか
しかもそれらが的確な生き生きした文体で書かれ続けていて
スマートフォンで見られるどんなサイトの報道文よりも
エッセー文や論説文よりも面白く
次々と日を遡って読み進めているといつのまにか
数年分を読まされてしまうようなことも多く
気づくと
令和元年の東京の8月の時間は数時間経過してしまっているのだっ

わたしもこれまではツイッターを蔑みがちであったが
この令和元年8月の全方向性ツイッター読書体験は転機となった

もうたいていの書籍は要らないのであり
もうたいていのニュースサイトは要らないのであり
家の中でも手元でもどんな時でも
ただキビキビと動いてくれる最良のコンディションの
スマートフォンさえあれば
読む
は充たされること
なろう
と知った

もうペーパー
触ることはないだろう
もうご大層な名を冠した偉そうなメディアも要らないだろう
読む
はいつも最高度
奇想天外
荒唐無稽
でなければならないが
ただ偶然の神託によって
未知の人のツイートからさら
別の未知の人のツイートへ
ずんずん深み
ずんずん遠くへ
読み進めていく以上
奇想天外
荒唐無稽
崇麗
なものはないだろう




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