2019年8月16日金曜日

海ゆかば



卑俗な人たちには、ただ卑俗なことだけを語れ。
もっと高次のあらゆる秘密は友人のために取っておけ。
トリテミウス
(ベネディクト派僧院長、
魔術師コルネリウス・アグリッパの友人)



令和元年の八月十五日
敗戦の日の東京は
台風十号の影響もあって
朝から大小の雨雲の流れ続ける蒸し暑い日であった

千鳥ヶ淵も武道館も見え
靖国神社の遠くない我が家には
朝はやいうちから
街宣車の流す「海ゆかば」*が響いてきていた

またあんなのを流している…
聞きながら思ったが
しかし
なかなか
いい曲なのでは?
と感じられてならなかった

こんな感想を持ったのははじめてで
じぶんでも意外だったが
だんだん歳を重ねて
じぶんの感性もむごたらしく右傾化してきたものか
やや自嘲気味に
内心を省みてみようとした

歌詞が大伴家持の歌から採られているのは有名であるから
言葉の流れ自体に魅力があるのは
不思議ではない
万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」と
続日本紀』第十三詔の「陸奥国出金詔書のアレンジから成るようで
作曲家の信時潔が
日本放送協会から戦意高揚歌の作曲を頼まれた時に
家持を選び改変を加えて用いたらしい

個人的には
♪海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の辺にこそ死ねめ
かへりみはせじ 
という歌詞のどこが戦意高揚になりうるのか
むかしから不思議に思えてならず
はじめから敗北の決まってしまっているような
というより
さんざん見せられてきた
玉砕の後の死屍累々の南島の浜辺の光景を歌っているようで
暗い暗い歌としか思えず
なんだか厭な歌だと感じてきていた

それが
令和のはじめの敗戦の日に至って
どうして
いい曲だなどと
じぶんの耳に聞こえるようになってしまったのか
こんな奇妙な歌詞の歌が
どうして
第二国歌とさえ言われ
戦意高揚のために歌われ
聞かれるというようなことが起こりえたのか
不思議でならなくなった

調べてみると
信時潔は
日本キリスト教会大阪北教会(大阪市北区)の牧師吉岡弘毅の子で
この父は不敬事件後の内村鑑三を匿った人でもある
信時潔自身ももちろんクリスチャンで
あの植村正久牧師にも接していた
考えてみれば
こういう筋金入りのクリスチャンが
キリスト教とは違う天皇制国家の戦争のための戦意高揚歌を
単純に作って済ますわけもない

信時潔はどうやら
この歌の背後に福音書の詩句の影を重ねていたらしい
 大君の辺にこそ死ねめ 
かへりみはせじ
は「ルカによる福音書」9章60―62節の
「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」
とのイエスの言葉に響き合っているという解釈もある
あえて大伴家持の歌からこの箇所を選んだ理由は
福音書のこの言葉にじかに繋げることができるからという

この解釈の流れで見ていくと
バッハのコラールに強い影響を受けていた信時潔は
戦時中の天皇制日本において
誰もが「天皇」という意味内容を想起してしまう「大君」という言葉に
じつはキリスト教の神をぴったり重ね合わせて
それへの強烈な忠誠を表明する賛美歌を作ったのだということにな
となれば
「海ゆかば」が歌われる時
実際に発顕されるのは
海で「水漬く屍」になったり
山で「草生す屍」になったりするような殉教もものともせずに
キリスト教の神への道を一途に辿る者たちへのひたすらな賛美であ
カエサルのものはカエサルに
神のものは神に返しなさい (『マタイによる福音書』22)
というイエスの言葉を思い出すならば
「大君」という単語の表層的世俗的な意味は
つかの間の地上の現象にすぎない大日本帝国とその時代へ
しかし
深層の意味のほうはキリスト教の神へ
というレトリックが披露されたということになる

もとよりキリスト教のレトリックにおいては定番の手法であるが
日本でも隠れキリシタンの生き延びの方法として
いっそうの洗練深化を経た術であったし
なによりも
大伴家持の時代より連綿と続く詩歌の技法は
公明正大に衆人環視の中であからさまに言語配列を行いつつ
読解分析力の劣った者たちに表層の意味をまずは食わせて
かれらの低いレベルの読解欲を満たしてやり
そうしていっそう深い意味を読み取れる者たちに向けてのみ
真に伝えたい意味が届くようにするものとして
日本語の練達の使用者たちによって開発され
維持され
いっそう磨かれ続けている

言語配列の秘術の深みに鈍感になり
読解力も分析力も劣った連中が
いっぱしのヒョウゲンシャやチシキジンとしてのさばるようになっ
見ようによっては微笑ましくもある
このお花畑
この幼稚園
すなわち令和とかいう
時代が始まった現在にあっても
もちろん

思い出しておいたほうがいいかもしれないのは
大伴家持自身が
当時の政争のゆえに死後埋葬されることさえ許されず
彼の編集した『万葉集』も長いあいだ禁じられた歌集であった事実である
軍国日本の至るところで
第二国歌のように「海ゆかば」を斉唱させ得た信時潔の企みは
なかなかに
込み入っている




*伊藤久男歌唱「海ゆかば」https://www.youtube.com/watch?v=KDM6OD24nhc





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