2019年8月21日水曜日

それでもまァあちこちを楽しみながら見終えはし




馬鹿馬鹿しくて単純素朴なアメリカ映画からは、
その全くの馬鹿馬鹿しさゆえに、教えられるところがある。
戯けてはいるが単純素朴でないイギリス映画からは、
教わるところはない。私はしばしば、
馬鹿馬鹿しいアメリカ映画から学んできた。
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン


年に500本は映画を見ろ
と蓮實重彦先生に厳命されたものの
とはいえ、そんなに見れないだろうから
まァ200本でいいよ
とちょっと甘やかされて以来
映画は一本でも多く見ることにしているので
「天気の子」も見たし
「新聞記者」も見たが
どちらもどうっていうことはなかった

新海誠は「秒速五センチメートル」の峻烈さを失ってしまって
世界の運命を左右する役割が
代々木の雑居ビルの屋上のお稲荷さんをふと訪れた女の子の
一身に託されてしまうことは
まず
霊学的にあり得ないので、残念!
しかも
新海誠は女の子のキャラクターの描き分けがずいぶん苦手らしく
重なってしまっているところがけっこうあるのって
ひょっとして
致命的?
と思いながら
それでもまァあちこちを楽しみながら見終えはし

安倍政権に反対する人たちの間で評判の高い「新聞記者」のほうは
結局
内閣情報調査室が怖いねェ
というところから先には一歩も踏み込んでおらず
羊頭狗肉との批判は躱せないでしょうな、これ
というドラマトゥルギーの本質部分がチープ過ぎて
世界的な政治映画にはついになれなかったのね、残念!
と思いながら
それでもまァあちこちを楽しみながら
コスタ=ガブラスの「Z」を懐かしく思い出したり
アンジェイ・ワイダの「カチンの森」や「悪霊」や「ダントン」や
もちろん「ワレサ 連隊の男」や「鉄の男」や「大理石の男」などを
当然ながら思い出したりして
見終えはし

結局
8月の現時点の映画鑑賞的短観としては
遅ればせながら見終えたクリント・イーストウッドの「運び屋」が
さっきのふたつをすっ飛ばすほどの快作で
映画をわざわざ映画館に見に来る観客は
なにを見たくて来るのか
なには見たくないのか
どこをどういじくれば物語や人間描写に深みを埋め込めるのか
セルジオ・レオーネやドン・シーゲルにしっかり仕込まれた
イーストウッドはさすがによくわかっているわい
と感心しながら
あらたに確認し直した次第なのである





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