2020年2月4日火曜日

ツイッターをつらつら

 

ツイッターをつらつら
ついった
ついった
眺めていると
みんな
偉そうになにがしか言ってるんだよな
マイクがじぶんのところにくると
さんざんぱらしゃべり続ける人がいるが
ツイッターというのは
そういう人を引きよせるハエ取り紙
ちょうど政治が
権力おたくを引きよせるハエ取り紙であるように

ゲンロンのジユーだそうだから
ツイッターマイクでしゃべり続けてても
そりゃけっこう
読んでるとけっこう
楽しいもんでもあるからぼくは嫌いじゃない
むかしモリエールは床屋に座って
民衆があれこれしゃべるのを聞き続けて
劇のネタに仕込んだものだったから
今じゃツイッターも大事な床屋談義の場

それにしても
みんな
偉そうになにがしか言ってるんだよな
なにがしか言いたがるんだよな
ツイッターマイクでしゃべり続ける人たちは
なぁんにも行動しない人たちだから
べつになにをどう言い続けても迷惑にもならないんだが
ああ似てるなあ
と思う
むかし大きな短歌結社にいた頃
世の風潮を嘆いたり
政治の右傾化を嘆いたり
人心の荒廃を危ぶんだりする
今ふうに言えば意識高い系短歌がなんといっぱい
毎月毎月生産され続けていたことか
それに似てるなあと思う

言っちゃいけないだろうなんて思うのでないが
歌っちゃいけないだろうなんて思うのでないが
そんな歌が並ぶのを読んでいくうち
どうしようもない場末感が染みてくるようで
引かれ者の小唄
世をすねただけの者の大言壮語ぶり
歌っていうのはひたすら侘しいもんじゃあねえか
と思わされ
去ったのだったなあと
思い出す

言っちゃいけないだろうなんて思うのでないが
歌っちゃいけないだろうなんて思うのでないが
そんな歌が並ぶ侘しさは
そんじょそこらの墓場の光景どころじゃない
黙って地上のひかりや闇のなかをたゞ歩きでもしたほうが
よっぽど価値ある時間となろうにのう
と思わされ
毎月毎月数百人や場合によっては数千人の歌が卒塔婆のように並ぶ
結社誌をめくるのをだんだん止めていったものだった
ひとくちに詩歌といい詩句というが
群れる連中というのがいる
醜いやからだよ、ほんとに
大将をつねに先生と呼ぶのを強いられ
大将をつねに尊んで大将のどんな作品も褒めたたえ
大将は若い女性会員に性供与を強いて
会員が歌集を出す時には
後書き書いてやるからハイ50万円
帯書いてやるからハイ20万円
もちろん税務署には申告なしですっぽり懐へ
いま話題のIRどころじゃない隠密の制度がしっかり出来ている
そんな光景をぼくはぜんぶ見たよ
そして大将連中が死に切ったらぜんぶ実名で暴露するつもりで
溜めているんだよ、ネタを
やっぱり小説の形体がいいだろうねえ
自由詩形ではうまくいかないよねえ

なあんてことを
ツイッターをつらつら
ついった
ついった
眺めていると
みんな
偉そうになにがしか言ってるから
思ったりしちゃう
むかしのことなんかを
思い出しちゃったりしながら




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