2020年7月31日金曜日

捨てるために 書いているわけです 今


  
薬用入浴剤
あまり信用はしない
遊び
として入れて入浴するのは楽しい
人から貰っていた
バスクリンの
薬用きき湯FINE HEAT RESET NIGHT
というのを
入れてみたら
シュワーッと泡が出て
ソーダ水のように青い湯になって
楽しかった
リラックス樹木&ハーブの香り
と書いてあるので
きっとそういうイメージの香り
なのだろう
自然な感じではないが
さわやかではある
でも
湯面に鼻を近づけて嗅いでみると
咳が出るような
出ないような
気管になにかが来るような
だったので
どんなもんかな
こういうのばかりに入っているのも

なにか
これについて書いてやろうと
空き袋をずっと
もう
ひと月ぐらい
机の脇に置いておいたが
そろそろ
しっかりゴミっぽくなってきたので
捨てるために
書いているわけです




世界人口6億以内



       決行を急がねばならぬ。
        三島由起夫『金閣寺』



旧経済体制を破壊し
金と権力の移行をすみやかに実現させるため
新型コロナウイルスを開発し撒いた側としては
夏のヴァカンスなどむろん根底から根腐れさせ
湿気った花火のようにしてしまう計画の実現はもちろん譲れない
可及的すみやかに医療機関の能力を壊滅的に低下させ
秋冬に失業者の群れで世界中を満たし
公共施設や商業施設ばかりか富裕層の住居なども破壊し続ける暴動
いたるところで恒常化させて
そこへ致死率の極めて高い複数のウイルスを新たに/さらに撒けば
目標として掲げていた世界人口6億以内
とまでは
すぐには落ちずとも
今年から来年にかけて30億には低減できるだろう
急がねばならぬ




アーメン



積極的にマスクをしないように努め
善玉の常在菌を除かないため消毒や手洗いもやり過ぎないようにし
過度にウイルスを恐れまいとしている人たちに
新型コロナウィルスの陽性反応が増えているといった話は
まったく聞こえてこないので
陽性者の数が急に増えてきていることの理由は
あきらかに
マスクや手洗い・消毒などの励行であろう
アーメン





2020年7月30日木曜日

ヘレヴェッヘ指揮のシューマン『ピアノ協奏曲』


ひさしぶりに、ヘレヴェッヘ指揮のシューマン『ピアノ協奏曲』を聴くと、やはり良かった。
第三楽章を聴いていると、最近の50年ほどは、これを本当に超える楽曲はついに作られなかったのではないか、と大げさなことを考えてみたくさえなる。いい曲や素晴らしい曲はたくさんあるが、ここまで大げさに言ってみたくなるところが、シューマンにはある。
文学にも通じ、音楽批評家でもあったこの緻密な思考者、シューマンが好きだ。

フォルテピアノはアンドレアス・シュタイアーが弾いている。シャンゼリゼ交響楽団による古楽器演奏なので、シューマンの頃の音に近くなっているはずだ。
近くなっている、というより、非常に近くなっているとさえ思ってもいいのかもしれない。
使われたフォルテピアノは、ヨハン・バプティスト・シュトライヒャーが1850年に作ったもので、リストやクララ・シューマンはつねに彼のピアノで演奏した。母のナネッテ・シュトライヒャー=シュタインは当時有名なピアノ製造者、音楽家、教師、作家で、ベートーベンやゲーテの親友だった。

制作中、まだ結婚していなかったクララに、「ヴィルトゥオーゾたちのための協奏曲は、ぼくには書けない」とシューマンは手紙を送っている。だから「なにか別のものを考えないといけない」とも。
最初のスケッチをしてから18年近くもかかることになった長い創作期間の間には、管弦楽の扱いに習熟せずに放棄していた時期もある。
師事したフリードリヒ・ヴィークには構想を打ち明けていた。
その娘クララへの思いの高まりから、曲はクララに捧げられることになったが、この時に完成したのは『ピアノと管弦楽のための幻想曲』で、初演後、出版を打診した三つの出版社はどこも拒絶、楽譜は放置されることになる。
それが幸いしたといっていいのか、この曲を元にして、間奏曲とフィナーレが書き加えられて『ピアノ協奏曲』が完成されていくことになった。

46歳でライン川への投身自殺を図ったシューマンについては、とりあえずは不幸な人だったと言っておきたくもなるが、よほど詳しくしないかぎり、一冊の伝記に容易には盛り込めないほどのあまりに多くの出来事や問題を思えば、充溢し切った人生の人と、やはり思える。
彼の精神障害は、今では青年時代の放蕩のゆえの梅毒の症状と、そのための水銀治療のためだと結論が出ているらしいが、それにもかかわらずクララに8人も子を産ませ、しかも与謝野晶子さながらにクララに働かせたのを思えば、無頼派作家などが足元にも及ばない火宅の人ぶりに、いっそうの興味を惹かれる。  
 ゲーテやショパン、リストの尊敬と感嘆を集めた、「力強く、知性的に、正確に」(リスト評)弾くピアニスト、クララをして、家庭内では女中並みの労働者のようにしてしまうシューマンという男とは何なのか、音楽とは別の関心の対象としないわけにはいかなくなる。

作曲家たちとシューマンの関係は、追っていると時間を忘れるほど面白いが、シューマンの保守性を批判し、「行かず後家」と腐したワグナーの態度よりも、シューマンが「諸君、脱帽したまえ、天才だ」と賞讃したショパンが、シューマンの曲には全く無関心だったことのほうが面白い。 
そのショパンがクララ・シューマンを絶賛し、クララは夫ロベルト・シューマンの作曲を賞讃している。リストとは軋轢と相互理解とを分かち合い、メンデルスゾーンについては終わった人間としての断罪を行い、自分を腐すワグナーの才能は認めつつも、そのオペラは認めないところなどは、ワグナーを避け続けたブラームスに近似して、これもまた面白い。
そう、そのブラームスは、シューマン死後40年を生き延びたクララ・シューマンの危篤を聞いた時、汽車に飛び乗ったものの、各停列車に乗ってしまったため葬儀には間に合わず、埋葬直前の棺をわずかに見ることができただけだった。

20世紀の、誰よりも抜きん出た文芸批評家、文芸理論家のロラン・バルトは、シューマンを好んだ。彼は楽譜が読めたが、作曲家たちの中でもシューマンの楽譜を読むのを好んだ。 
バルトを虜にする複雑さと味わいをシューマンの楽譜は持っているからだろう、と思い、私は自分でもシューマンの楽譜をめくって見たりしたが、音楽全般への興味が昂進するにつれ、リヒャルト・シュトラウスのオペラなどの楽譜を好めなかったバルトの「保守性」というものに、だんだん気づくようになった。

1980年、信号待ちをしていた64歳のロラン・バルトは、歩道に飛び込んで来た車に轢かれ、入院した病院で院内感染から死去するに到る。 
フーコーに推薦されてフランスの最高教育機関コレージュ・ド・フランスの教授に就任し、知の頂点に立った4年後のことだったが、あれだけの知的な煌びやかさも、若い頃の低所得家庭での青少年期、肺結核、書けなかった博士論文、大学教員資格試験失敗などを経験してきた末の、最後の花道のようなものでなかったか、とも思える。

「お前の中から警句的な、機知的なものを取り除けそれはお前の本性にはない。単純に、自然に書け。ゲーテはつねに良いお手本だ。正確さと簡潔さに慣れよ。表現の連続性にも。意味をぴたりと射当てる言葉を見出すまで、探し続けよ」
 つねに物書きであり、日記を書き続けていたシューマンの、18311017日の記述である。




その他もろもろについても以下同様


  
生まれたという思いさえない
生きているかどうか
わかんないよ
正直言うと

からだがある
思うことにしておけば
ある
ような感じもする

天や地とじかにつながっている
この
水っけの多い
へんなかたまりを
からだ
と呼ぶのだとすれば

ああ
こんなふうに
いちいち確認し直しながら
言ってみていくのって
めんどくさい

だから
言いたいひとには言わせておく
からだあるだろ?
とか
人間だろ?
とか

人間
じゃないと確信してるけど
主張はしない
めんどくさいから

ただ
人間ということばに
いろいろ
絡まってくるモンダイとやらには
あんまり
絡まっていない
ほうだと
思う

どうでもいいだろ?
生死とか?

その他
もろもろについても
以下同様




触りそうにしている


  
本はぜんぶ捨ててしまったので
部屋の奥にまで
自由に波の寄せ来る絹雲が
わたくしの居どころ

捨ててしまった本たちから
透明のほそい(でも、ちょっと薄みどりっぽいかな…)
管がのびてきて
背中の舌のほうや
耳の裏とかを
くすぐったりしてくる

触るべきものはぜんぶ触ってしまった
指の腹で
生まれる前のヴィーナスの腹を
わたくし
触らず
触りそうにしている




きみ?


 美しい雨がなんども過ぎて
数十年だれも踏み込んだことのない庭のまん中に
わたしひとり
踏み入って置いてきた古い小さな陶器の椀に
この雨季
数十回も天から落ちた雨が
流れ溢れては流れ溢れ
それでも縁まで水は溜まって
きっとなにか
貴重な粒子か金粉のようなものが
沈澱し始めたのではないかと
なんの役にも立たない
夢想を
きっと始めている
わたし
のではない
意識

きみ?



ま、カタカナ書きのジ、ン、ル、イ、やけどな




新型ころな・う゛ぃーるす
っていうのを
ほんとうに怖がっている人がいるって話を聞いて
ちょっと
驚いてしまった

どこをどーすれば
新型ころな・う゛ぃーるす
っていうのを
ほんとうに怖がってしまえるのか
どーしても
わかんないのだ

そりゃ
なんであれ病気になったらめんどうくさいだろう
しかしそりゃあ
めんどうくさいってだけの話だ

そりゃ
なんであれ病気になったら死ぬことだってあるかもしれないだろう
しかしそりゃあ
よくあることなんだし
だいたい老人の死因のほとんどは肺炎なんだし
肺炎というゴールに
新型ころな・う゛ぃーいるすから行き着こうが
旧型ころな・う゛ぃーいるすから行き着こうが
旧型ろろな・う゛ぃーいるすから行き着こうが
新型なろな・う゛ぃーいるすから行き着こうが
やっぱりあんまり変わんないと思うし
なんかそういったパターンそのものが飽き飽きなわけで
肺炎のことをメタ炎症で消火してやるぐらいのことはしたいものと
思っちゃったりもするわけで

ついさっきも見たばっかりだが
新型ころな・う゛ぃーいるす陽性者が一日1000人を越えたそうだが
ガンの発症は平均一日1095人なので
まだまだガンには勝てないでいるんだなあと思っちゃうし
新型ころな・う゛ぃーいるすによる死亡者が1000人を越えたと言ったって
ガンの年死亡者40万人にはとてもではないがすぐには追いつけな
よく言われることだが餅を喉に詰まらせての死亡者数は年に1300人だ
ガンや餅のほうが怖いんとちゃう?とやっぱり思うんだけど
それでも
新型ころな・う゛ぃーるす
っていうのを
しっかり特化して
ほんとうに怖がれるっていうのは
一種の才能かいな?
思ってしまう

才能には勝てません、ほんと
才能ある人にはジンルイを背負っていってもらいたいね
背負っていってもらいたいです(キリッ)

ま、
カタカナ書きの
ジ、ン、ル、イ、
やけど




おおい、自然!


自分にも世界にもなんの問題もないので木々があんなにも青い
草も青い

ほら、あそこの原っぱ…

あそこで寝転んでみようとか
ピクニックしようとか
べつに
思わない

どうして
そうやって未来方向の言葉ならべをしちゃうのかね?
学級委員の立候補スピーチでもあるまいし

なにかしたいと思っても
言わないよ
ほんとにしたいなら

言葉ひとつひとつがじつはスパイ
バックドアそのもの

しなければならない系の思考が
幼稚園のお庭で
騒いでいるね
いまだに

元気といえば元気
幼稚とも
言えるけれどね

するべき系や
したほうが系も
しなければならない系とお手手つないで

なんの問題もないので
論評どころか
唖然
呆然
ともしなくって

木々の青さも
風のそよそよちゃんも
雨のザーッと君も
そぼ降るちゃんも
ときには
さっぱり晴れやかンも
そのまま
放っておけば
いいじゃん

(ほんとはちょっと飽きてるんだけどね…)

でも
自然と(バックドアの)言葉で呼ばれている
超全体主義的にまとめちゃった見方の
対象も
なんか注目されていると自負しちゃっているようだから
そのままにしておく

おおい、自然!
おまえだって
どーでもいいものに過ぎないんだよ
いずれ
太陽が滅びる時には飲み込まれちゃうんじゃないか
その時には
ジンルイのブンカもレキシも
無数の個体たちのアイもユメもココロも
なにもなにやら
どーでもよくなっちゃうとしかいいよーがないんだよ

おおい、自然!




2020年7月24日金曜日

たゞの味道楽




Instagramtwitterに写真を載せ続けている。
自分で撮ったものも時どき含ませてはいるが、大方は
ネット上で見つけたものをコピーして載せているだけなので
著作権がどうこう言われたらすぐに放棄できる。
アカウントそのものも、いつ捨ててもよい。

しかし、なぜ自分が写真を拾っては載せ続けるのか、
実のところは自分にもわからなかった。
もう4万件以上も継続しているのだから、自分の心のどこかが
こうした行為を面白がっているのだろうとは思うが、
理由を考えようとするとよくわからない。
なんの得にもならないし、人づき合いが広がるわけでもないので、
合目的型の行動評価をしてみれば、無意味この上ない行為だ。
瘡蓋を弄り続けたり、爪を噛んだりするような癖の類か、
もっと深刻ななにかの現われの、病のようなものかもしれない。
そのような方向に検討を向ければ、私という時間体の
多くを領する行為対象である書籍、映画、音楽、植物、自然観照、
さらには文字による記述行為や、プロカメラマンでもないのに、
いろいろなものの写真を撮りたがったりすることなどの、
すべてが、根深い病のようなものの発現でしかないと
思われるに到る。

先日のことだが、うまく寝られずに、体を横たえたまゝ、
うとうととし続けた末に、もう身を起こすことに決めた時のこと、
それでも少し前のわずかな時間だけ落ちいった薄い眠りの中で、
ふいにInstagram行為とtwitter行為の謎が解明された、と思った。

それらSNSにおける写真の掲載行為は、つねに、色とかたちを
選別し続け、ある方向に偏向し続けたり、自分の中にあるなにかの
バランス感覚に従って、今さっき惹かれたのとは違う色や
違うかたちに揺れ戻って選択し直したりする行為である。
さらには、撮影者の撮影視点の定め方や編集のしかたを見抜いて、
それを首肯したり、否定しつつも面白さは評価したりという、
批評行為を延々とくり返す行為でもある。

こうした行為が、ようするに、色と、かたちと、撮影者の目が、
おのずと醸し出す味覚のようなものの、探求だったのだ、と、
ふいに、わかったのだ。
視覚の領域のものだからうっかり考え違いをしてしまいがちになるが、
色もかたちも撮影のアングルも、視覚的味覚を発動させるものでしかない。
ようするに、ひとくちスイーツの食べ歩きのようなことを
Instagramtwitterを使って続けていたのだった

大事なことは、ここに、表現や自己などというものの介入してくる
契機は、一切ないということである。
主義主張もなければ、いかなるコミュニケーション欲も計略も交じらない
非社交的、非社会的な、たゞの味道楽のようなものだったのであり、
つまりは、純粋に官能的なだけの行為でしかなかったのである。




涼しい風がすこし入ってくる。


  
涼しい風がすこし入ってくる。
カーテンが
揺れてみたくて、風を引き込んだのだろう。

私は海だ。

たった一度も「私」と言ったことのない人とすれ違ったのは、
たぶん、あそこの海沿いの街のカフェ。

私は海だ。

知っているが
名は知らない南国の木々が揺れていた。
風もなかったのに。

地球はいつだって揺れているよ。
と、すてきな
朝の挨拶をくれた給仕係の老いた伊達男が、
ちょっと空を見つめる。

英語の本がnowhereを教えていた。

それはnowhereさ、と
20世紀の禅者たちの共有した冗談を返しながら、
あのカフェに、
あの丸テーブルに、
本は
置いてきた。

私は海だ。

涼しい風がすこし入ってくる。