2020年7月8日水曜日

なんやかや


なんやかやと人は言っている
いつも
なんやかやと人は言っている

中原中也も
そう書いていたな
思い出し
調べてみたら
「昏睡」
という詩だった


昏 睡

亡びてしまったのは
僕の心であったろうか
亡びてしまったのは
僕の夢であったろうか

記臆というものが
もうまるでない
往来を歩きながら
めまいがするよう

何ももう要求がないということは
もう生きていては悪いということのような気もする
それかと云って生きていたくはある
それかと云って却に死にたくなんぞはない

ああそれにしても、
諸君は何とか云ってたものだ
僕はボンヤリ思い出す
諸君は実に何かかか云っていたっけ



一連にも
三連にも
あまり共感はしないが
二連は
わがことのように
ながいこと
意識の天井のどこかに貼りついていたことがあって
ほんとうだ
記臆というものが
もう
まるでない
往来を歩きながら
めまいが
するよう
するよう
するよう
世田谷を歩いていた頃がずいぶん長かった
捨てた世田谷
もう
二度と戻らないだろう
世田谷

四連も
意識のボロ壁のどこかにこびり付いて
拭っても
拭っても
落ちなかった
ながいこと
ながいこと

ああそれにしても
諸君は何とか云ってたものだ
僕はボンヤリ思い出す
諸君は実に何かかか云っていたっけ

あの頃
死んでいました
さっぱり
言える
ながいながい時代
なんやかやと人は言っていた
なんやかやと
人は
いつも
言っていた

いまも言っている

なんやかやのなかにはコロナとか
洪水とか
トランプとか
中国とか

そのうちきっと
大噴火とか
大地震とか
大増税とか
大量死とか
なんやかやのなかに交じって

人は
いつも
なんやかや

なんやかや






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