2022年2月6日日曜日

記憶という融通無碍の無限の超立体テキスト


 

 

記憶は最大の玩具で

時々刻々つきあってきた時空のすべてを

こちらの感官から取得したという制限はあるものの

映像と立体感と知識と文字ばかりか

微妙な雰囲気や空気感さえ含めた情報を

けっこう融通無碍な可変性とともに提供し続けてくれる

 

このおかげで

ゴミ捨てや廊下の端っこの掃除や

カレンダーの月ごとのページめくりなどでさえ

非常に多くの過去の類似場面の思い出の噴出によって

映像や感覚の全的な立ち上がりを待とうとすると

しばし立ち止まらされてしまうことが多い

 

そう、ゴミ捨て

大きめの行政推奨の袋が

いまの住まいの集合住宅では急に忌避されるようになって

ダストシュートに燃えるゴミは入れるように勧められるようになり

そうすると小さめや中型のレジ袋に小分けしたゴミ出しのほうがよくなり

そんなふうにゴミを出していた頃の

あの時代

この時代

などへと一気に記憶は糸を伸ばすようになり

それらの時代のゴミ捨ての

あの夕方

この午後

などへと映像は広がり続けて

その頃仲のよかった友や行きつけの場所などへさえ

思いは無限に伸びていく

 

そう、廊下の端っこの掃除

生まれて一度も引っ越したことのない人と違って

十指にあまる引越しを重ねてきた者には

なんとたくさんの家の中の廊下が伸び続けていることか!

いちいちそれらを掃除して

端っこを掃除機の細い吸い取り口で音を立てながら探った経験も

もう無数の堆積を記憶の中に保っていて

今の住居で廊下を掃除するたびに

つぎつぎ終わりもなく蘇り続けてくる

 

そう、カレンダーの月ごとのページめくり

つい10年ほど前の住まいでのカレンダー設置場所のことや

もっともっと以前

まだカレンダーに格別の美意識も持たず

どこかの会社からもらってくる大きな通俗な富士山カレンダーや

ルノワールの絵画をあしらった銀行のカレンダーや

仕事でことに忙しくなってから

わざと絵や写真のない書き込み欄の大きなカレンダーを買って

蛍光ペンやマーカーで予定を数ヶ月先まで書き込んで

机の前に貼って度あるごとに見つめては

一週間のエネルギー配分や新たな予定の組み込みを斟酌したことなども

その都度の服装や手元に置きがちだった手帖や小物などや

ちょっとマイブームになっていた食べ物などまで含めて

次から次へと蘇り続けてくる

 

ぼくがいつも

本などいらない

文芸などいらない

映画などいらない

文化などいらないと

あえて乱暴に言いたくなるのはこのためで

記憶という融通無碍の無限の超立体テキストがあるかぎり

社会のシステムの中で作られた疑似テキストなど

まったく不完全過ぎて

つまらな過ぎるものだと言い切れるから

 

記憶に欠損が生じた時には

本も文芸も映画も

いよいよ不可欠のものになるはずだと

ひょっとして

うっかり言いたくなる人もいるかもしれないが

なんと愚かなこと!

記憶に欠損が生じれば

それらの使用こそがまっ先に不可能になる!

記憶こそベースになるソフトで

こちらのほうこそ

万人に無料で分け与えられている富だ

プルーストの『失われた時を求めて』読解などより

各自の記憶こそ再三読解すべき超立体テキスト

軽薄な文化やカルチャーなるものに惑わされてはいけない

各自の記憶と感官情報と意識の豊饒な攪乱をこそ

唯一の対象とせよ!





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