2022年2月20日日曜日

身近なる“無意識”


 

いつもいる部屋の

椅子のすぐわきに十数本できている本の山を

ほんの気まぐれから整理するだけで

数日はあっというまに経ってしまう

 

椅子から50センチ以内というのに

いちばん身体に近い本の山々はいちばん整理ができていない

身近なる“無意識”となっており

もっとも関心のある本が積まれているというのに

もっとも意識から外れていってしまう不思議な場所

あたかもあたかもあたかも

もっとも身近でじぶん自身でもあるはずなのに

もっとも謎で統御しがたい肉体や精神にもよく似て

 

たまに身近なる“無意識”たる多量の本を

一冊一冊ページを開き直しながら整理するのは

はげしい疲労をともなうとはいえ

とてもよいこと

一時的な疲労の退いたあとには

精神のなかの多数のカードがぜんぶシャッフルされたような

生まれかわりがかならず来る

本の整理の前に抱いていた価値観は分解し去り

まったく新たな価値観と展望と希望が

こころにも体にも漲ってきている

 

こんなことを何度となくくり返しながら

わたしは脱ぎ捨て去ってきたのだ

文学への趣味も哲学への盲信も

学ぶことや読むことを優位に置く思考法も

かといって単純な愚かな反抗にすぎない

学ばないことや読まないことという安酒への堕落も

家畜の命をなんとも思わないヒューマニズムという欺瞞も

たんに収入の多い職業に就いたからというだけで

社会的理性の体現者になったかに思い込む平成愚者たちの

歴史批判も政治哲学も完全に欠落した

バーコード付き商品のような言辞や振舞いへのつきあいも





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