Tout à coup et comme par jeu
Mademoiselle qui voulûtes
Ouïr se révéler un peu
Le bois de mes diverses flutes ……
Stéphane Mallarmé 《Feuillet d'album》
夜のビル街を歩いていたら
煙草の匂いがした
いい香りで
昔好んで吸っていた「プロムナード」を思い出した
それと同じ香りではないが
香りを気にする人の吸った残り香だと思えた
とっさに
煙草の小説が書きたくなった
三島由紀夫の若年の短編に『煙草』というのがある
名品だと言われているが
期待して読んだ高校生のわたしには
いまひとつ湿気った後味に思えた
しかし『花ざかりの森』よりもまとまり感はある
もともと短編を読むのが好きで
モーパッサンのものなどは中学生の頃に
青柳瑞穂の訳で出ているだけをすべて読んだが
同じようなのめり込み方で
三島の短編も大学生までの間にほとんど読んでしまった
見事だと思ったものもあるが
ほぼ読み終えてみた後の気分は
こんなものか…
といったものだった
文庫本でもずいぶんの冊数になる量を読んでも
ドストエフスキーの『罪と罰』一冊の感動にまったく届かない
三島由紀夫が「こんなものか…」なのか
日本近代文学が「こんなものか…」なのか
とにかく
ずいぶん時間を無駄にしてしまったと感じた
もちろん三島由紀夫が「こんなものか…」でなかったのは
その数年後にはわかる
『豊饒の海』ははるかに読みごたえがあって
ところどころ破綻や危なっかしいところがあっても
よくこれだけのものを書いたし
これを読めたのはよかったと思った
『金閣寺』も『仮面の告白』もつまらなかったが
『豊饒の海』四部作だけでも三島はわたしの作家になった
日本近代文学が「こんなものか…」でなかったのも
梅崎春生の『幻化』や
武田泰淳の『富士』などを読んだ後では
よくわかった
夜のビル街を歩いていたら
といっても
わたしの住まいが今このビル街にあるので
いまや
どこぞの住宅街よりも
都心のビル街のほうが親しい
この数年慣れ親しんだ
地元
になって
しまっている
もうひとつ
「といっても」を
つけ加えて
おこう
煙草の匂いがした
いい香りで
昔好んで吸っていた「プロムナード」を思い出した
それと同じ香りではないが
香りを気にする人の吸った残り香だと思えた……
「といっても」
あたりには誰もおらず
周囲の木陰で吸っている人の姿も
皆無である
後藤明生なら
お得意の不意打ち展開に持っていくところかもしれないし
藤枝静男なら
荒唐無稽なモノたちの語り出しや湧出に持っていくかもしれない
しかし
わたしは後藤明生でもなければ藤枝静男でもなく
彼らの面白さを蓮實重彦経由で学ばされた後
だいぶ時間を費やしながら
ひそかに谷崎潤一郎の
あのやり方
地道な随想ふうに文を開始しながら
だんだんと比類のない重層的な狂い方へと持っていくやり方を見出して
そちらに文芸の王道を見て鞍替えしてしまっている
あゝ
煙草の小説が書きたいなァ…
思うこと
しきりである
こんなふうに記してみると
なんだか
牧野信一や稲垣足穂の雰囲気が漂ってきはじめる
梶井基次郎にも
近いものが
ないでもない
あゝ
煙草の小説が書きたいなァ…
「煙草の」を除けば
小説が書きたいなァ…
が残るが
これは
中上健次が時々しみじみと口にしていた文句だった
と
どこかで聞いた
人と飲んでいて酔ってくると
あゝ、小説が書きたい…
と絞り出すように
嘆息するように
心臓が止まる刹那のように洩らす
それでいて
叫ぶように声を出す
というのだ
これは
中上健次と直接関わっていた
早稲田・文芸専修の時のわたしの上司だった
批評家・フランス文学者の江中直紀から聞いたのだったか
それとも
他の誰かからだったか
中上健次が言ったという
この
あゝ、小説が書きたい…
という言葉が
いいなァ
ホントにいいなァ
と
わたしは思ったのである
飲んでいて
こんなことを洩らす人が
小説は
書くべきなのだろう
と思った
ものというのは
書くべき人が書かなければならない
書くべき人が書くと
あいうえお
と書くだけでも
変わってしまうのだ
草野心平なんぞ
を詩にしてしまったではないか
中上健次は
こまかな字で原稿用紙などに
小説を書いていった
という
偉そうに大きな字で書いていくのではない
本当に細かな字で
紙を端から端まで埋めていく
原稿の写真は
どこかで見たこともあった
数年前
京都を舞台にした
吉増剛造さんのドキュメンタリー映画ができた時
恵比寿ガーデンプレイスの写真美術館に見に行ったが
併設されている簡易なカフェの
窓側の席に着いて
洗ったり乾かしたりをくり返した紙に
さらに文字を書き続けている吉増さんを見つけた
すでに暗くなっていた戸外を歩いていて
ガラス越しの姿を見たのだ
その当時
婦人雑誌『婦人画報』編集長だった妻・富川匡子を伴っていたので
吉増さんに紹介し
今書いているものの字体などを
少し間近でよく見せてもらっているうち
中上健次の文字の小ささをふいに思い出したわたしは
そのことを吉増さんに言った
中上健次と親しかった吉増さんは
中上はさ
ほんとに細かい字で埋めていくんだよね
細かい細かい字でね…
と言った
吉増さんとはじめて会ったのは
早稲田大学文学部の古い戸山校舎のタワーの3階
文芸専修室でだった
わたしは助手だったが
文芸専修の助手というのは
学務の事務や雑用や数百人の学生の世話のほか
専門分野の研究と創作を平行して行なっていないといけない
専修主任だった江中直紀教授が
わたしを一本釣りしたようなかたちになった
助手の仕事は多岐に亘ったが
年に数回開く講演会の出演依頼を文学者たちにするのも
なかなか面倒な仕事のひとつだった
津島佑子さんなどはなかなか引き受けてくれず
かといって拒否というわけでもなく
しつこいセールスマンのように再三電話をかけた末に
講演というのはやりたくないけれど
対談のようなかたちで
人が聞き出してくれるのならば…
というところまでなんとか引き寄せられたので
それではと急遽
文芸評論家の川村湊さんに頼んだら
双方で承諾ということになって実現させることができた
吉増さんの場合は
吉増さんとつき合いを重ねていた詩人の吉田文憲さんが手伝ってくれて
比較的スムーズに実現できた
文芸専修室に
ひょっこり
という感じで
ドアを開けて姿を見せた吉増さんは
その頃吉増さんの定番のようになっていた白シャツをタックアウトにした姿で
その上には
半コートよりはちょっと長めくらい?のコートを羽織っていた
あゝ、これが吉増剛造か…
と間近で挨拶し
すぐに主任の江中直紀教授を呼びに行った
江中先生は
専修室に入ってくると
いつものように足元が心もとないふらふらな感じで
型どおりの挨拶をしようと努めて
もちろんそれなりに挨拶はしたが
いつものように
はにかみから来るのか
意外な小心さから来るのか
言葉はどんどん上滑りしていこうとする
たくさんの朗読やパフォーマンスで場数を踏んでいる吉増さんのほうは
静かだが堂々としたもので
「江中先生ですね」
と言った
(なるほど、あなたが、いろいろ聞かされてきた江中先生なんですね)
といった意味あいの言い方だった
江中直紀教授は『早稲田文学』の編集長でもあり
文学界では知られていたから
あちこちで耳に入る
大小さまざま
毀誉褒貶のゴシップによるイメージもあっただろうが
中上健次たちから聞かされていた人物評を
おそらく
思い出してのことでもあっただろう
恵比寿ガーデンプレイスの写真美術館に併設されているカフェで
妻も名刺を渡しながら
吉増さんと二言三言話していたが
それを聞きながら
だいぶ昔
まだ二十世紀だった頃
その世紀末に
吉増さんのちょっと大きめのパフォーマンス仕込みの朗読会に
わたしのフランス人の伴侶
エレーヌ・グルナックを連れていったことを思い出した
朗読会の済んだ後
客たちがだいぶ退出していったあたりで
客席に吉増さんと妻のマリリアさんが下りてきたので
挨拶をし
吉増さんにエレーヌを紹介した
外国人どうしということで
初対面にもかかわらず
エレーヌとマリリアさんはしばらく英語で話していた
夜のビル街の自宅へ
わたしは
何事もなく
今夜も帰りつくことになったが
ふいに
とっさに
煙草の小説が書きたくなった
という思いは
また
種をしかるべく割って発芽することなく
奇妙な
自由詩のかたちを模した
文字の羅列に
ひたすら無益に
溶解していってしまっている
あゝ、わたしは詩を書いているのではないのだ!
煙草の小説が書きたくなった
三島由紀夫の『煙草』より
もっと複雑な
もっと短い
いい小説が書きたい!
ヴィリエ・ド・リラダンも
ボルヘスも
コンラッドも
モームも
すでによく知っている今のわたしは
しかし
また
何度も草稿を書き直ししながら
立ち止まってしまうのだろう
この先も
数十年
数百年も
これまでの数百年数千年のごとくに!