2024年4月24日水曜日

管理や支配をわたしは喜ぶ


 

 

途窮未不禱神

(途窮すれど未だ神に祷らず)

幸徳秋水 『獄中所感』

 

 


 

 

マイナンバーカードという試みも

たしかに

政府による

いっそうの国民管理のひとつであろう

 

内実ともに真の「政府」

によるのなら

制度的には肯定されうるが

「政府」という器は

その時代や

そのひとつ前の時代や

さらにひとつふたつ前の時代において

たまたま金銭を掻き集め得た越後屋たちによって

いかようにも支配される羊の皮であるので

つまりは

新たなる王政への疾走ということに

いつの時代にもなる

 

管理や支配をわたしは喜ぶ

 

ただし

平民による

徹底した

「政府」の管理と支配を

 

数百年も前の昔ならともかく

王政や帝政やツァーリ政や

その他の全体主義政体を望むものでないかぎりは

「政府」は国民の

さらには

平民のものであり

彼らのためのサービス機関であるという定義に

賛成せざるをえないだろう

サービス機関は

平民たちの所有物であり

平民たちによる徹底した管理と支配を受けなければならない

平民たちの理解できない経費使用があったり

平民たちを富ます経済運営がなされなかったり

平民たちの権利を拡大する法令を拡充しないのならば

そのサービス機関はいったんは破壊されるか

即座に刷新されるのでなければならない

 

管理や支配をわたしは喜ぶ

平民による

「政府」管理や「政府」支配が

つねに厳格に

貫徹されねばならない

 

ふと思い出されてくる

幸徳秋水の

死刑宣告された日の感慨

秋水は

中江兆民の仏学塾に学んだ人だった

現在の千代田区一番町2にあった兆民宅に住み込み

門弟でもあった

 

 

区々たる成敗は且く論ずるを止めよ
千古惟だまさに意気を存すべし
是の如くして生まれ是の如くして死す
罪人また布衣の尊きを覚ゆ

死刑宣告之日偶成
               (明治四十四年一月十八日)

 

 

こまごまとした成功失敗について、今あげつらうのはやめよう。
  人生への意気込みを捨てぬことこそ、古今を通じて大切なことだ。
  このように私は生きてきて、このように死んでいくが
 
 罪人となってあらためて無官の平民の尊さを覚えることができた。

一海知義(神戸大学名誉教授)による現代語訳

 

おっと……

 

秋水さんや中江兆民さんを

べつに

尊敬しているわけでも

ないのだがネ

 

兆民さんなんか

いろいろな事業を次々手がけて

明治31年には

なんと!

群馬県で遊郭再設置運動などもしている

バルザックのように

どれも失敗しているというのが

ご愛敬だが






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