心の友は稀なるものなり。
山本常朝 『葉隠』
年齢をかさねてくると
友だち
などと思っていたひとたちが
たいして
友だち
などでは
なかったのが
よく
わかってくる
学校とか
職場とかで
おなじ箱に放り込まれて
おなじ条件を生かされたどうしで
一定の範囲の共通感覚を経験し
それを共通言語で伝えあい
おなじ箱のなかにある者どうしとして
とまどいや不安を
紛らわしあった相手が
友だち
で
そういうものでしかなくって
もっと正確に言うなら
そもそも
同僚
だとか
同窓
程度でしかなかった
友だち
などという
ありふれた言葉を
幼時から使ってしまうように
幼少期日本語会話初歩の段階で
導かれてしまったので
友だち
という言葉にまつわる錯誤に
一生
惑わされることに
なってしまう
人生をながく生きて
その後に
あれこれについて
深く対話できるようなひとだけが
友だち
で
外でかけまわったり
水蹴り遊びをしたり
いたずらをしかけあったり
アイスをいっしょに食べたりなど
したからといって
友だち予備軍役とか
友だち候補生でしかないよ
それから先
人生は
たくさんの友だち資格認定試験をしかけてきて
ほとんどすべての
予備軍役や候補生はふるい落とされてしまう
たぶん千人にひとり
残るか
残らないかの
ほんとうに狭き門なんだよ
幼稚園に上がるか
上がらない頃に
そのように
教えておいてやるべき
かも
しれない
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