言葉は何も証明しないからである。
三島由紀夫『音楽』
つまらないひと
って
やっぱり
いる
ひとつの仮面しか持ってないひと
だ
じぶん
などというものが
いると
信じている
統一された
筋の通ったたったひとりの「わたし」
などというものが
いると
見せてくる
そういう
ひと
詩歌だったら
いつも
おなじような人格っぽい「わたし」「私」「ぼく」の口から
言葉をつむぐひと
(「おれ」とか「わて」とか「おいら」とか「わちき」は少ないね
日本詩歌の一人称における貧困!)
書くたびに
わたし
わし おれ
おいら あたし ぼく
わっち わて
などを一人称に嵌め込んで
七変化八変化
し続けてほしいのに
いつも
しみったれた昭和マンや
平成マンや
令和マンしてるだけの
ひと
つまらない
男として女したり
女として男したり
「したり」して男ったり
女っぽい「として」したり
せめて
そのくらいしてくれないと
つまらない
ああ!「おれ」よ!
ああ!「わて」!
ああ!「おいら」!
ああ!「わちき」!
ああ!「あたい」!
ああ!「ぼくちん」!
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