《Henri Beyle. Milanais. Il écrivit, Il aima, Il vécut》
Romain Colomb,
le cousin et ami d'enfance,
exécuteur testamentaire de Stendhal
寝落ちしていた
夢のなかで
海沿いの崖の大きなくぼみに
大きな机を据えて
書斎にしていた
椅子のうしろは
舗装された道になっていて
ひとも車も
平気で通っていく
道の端には
ガードレールがあって
そこから下は
断崖絶壁の海
喜ぶぞ
ヒッチコック
この断崖を見たら
寝室とか
べつの部屋は
となりのくぼみに作ってあって
そっちのほうは
書斎みたいにオープンにしていなくて
ちゃんと壁があって
家になっている
椅子から立ち上がると
くるっと
うしろを向いて
よく
海を見晴らす
まったく
なんてすばらしいところに
住むことにしたんだ!
机にしばらく向かって
ちょっと振り向けば
いつでも
こんなふうに大海原!
これ以上の幸せは
そうあるもんじゃない!
道路に
すっかり開けっぴろげにしている
オープンな書斎だから
机に向かっていると
歩いて行くひとも
なにをやっているんだろう?
とちょっと知りたげだが
邪魔してくるひとはいない
ときどき
すこし強まる海風が
袖をはたはたさせたり
机の上の紙を
持っていこうとしたりするのが
邪魔といえば
まあ
邪魔かな
でも
大丈夫
ヴァレリーの本を
開いたり
閉じたりした海風ほど
強くは吹いて来ない風だから
見晴らす海には
岩も見えず
波が飛沫となるさまもなく
陸へと押し寄せて
屋根や机や紙束を
打ち破るとも
見えない波たちだから
「風が立つ! 生きねばなるまい!」*
とヴァレリーは歌ったが
もう十分
生きたから
スタンダールが1842年に死んで
たった三人だけの会葬者で行なわれた葬儀の後
従兄弟ロマン・コロンブが
モンマルトル墓地の墓に刻ませた
「書いた、愛した、生きた」**
という文句のほうを
いまは
呟いておくべきかもしれない
そういえば
生前
軽蔑され
嘲られさえしていた彼は
予言するように
「ぼくは1880年に知られるだろう
1930年に理解されるだろう」***
と言っていた
バルザックだけは
はやくも
1840年の時点で
『パルムの僧院』に讃辞を捧げていた
* Paul Valéry : Le cimetière marin (「海辺の墓地」)
**《Henri Beyle. Milanais. Il écrivit, Il aima, Il vécut》
*** « Je serai connu en 1880. Je serai compris en 1930 »
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