学問の大禁忌は作輟なり。
吉田松陰 『講孟余話』公孫丑上
五十歩百歩
といえば
たいした違いはないとか
本質的にはかわらない
などという意味だと学校で習い
もともと
中国の古い本に
戦場で五十歩逃げた者も百歩逃げた者も
逃げたという点ではかわりがない
という話があった
とも
聞かされた
この話は
『孟子』の梁恵王章句第一の
三に出てくる ★
孟子が恵王に
五十歩しか逃げなかった者が
百歩逃げた者を臆病者めと笑ったら
どうでしょう?
と問うたのに対して
恵王が
それはだめだ
百歩逃げなかったというだけで
逃げたことにかわりはない
と答えた
とある
孟子はここから
一気に
彼が「王道」と呼ぶ為政者論に入り
今の政治は
王が自分の犬や豚には人間の食べものを鱈腹食わせながら
米倉に収め貯えようともしない
路ばたに餓死者がころがっていても
米倉を開いて救おうともしない
人民が餓死しても
「私のせいではない。凶作のせいだ」
とすましている
これは人を刺し殺しておきながら
「私が殺したのではない。この刃物のせいだ」
などと白白しくいうのと
なんの違いがあろう?
とまくし立てていく
孟子は
よい社会をつくる前提となる基本政策も明示し
まず第一に井田(せいでん)の法によって
一世帯ごとに百畝の地と]五畝の宅地とを分け与えて
そのまわりに桑を植えて養蚕をさせる
そうすれば
五十過ぎの老人もふだんでも温かい絹物が着られる
次に鶏・仔豚・食用犬・牝豚などの家畜を飼う
子を孕んだり育てているときには殺さないようにさせれば
七十過ぎの老人も肉食ができる
農家は一世帯ごとに百畝ずつの田地が分け与えられているので
農繁期に力役などを割り当てなければ
五六人の家族ならひもじい目にはあわない
学校での教育も重視して
とくに親への孝・目上への悌の道徳を徹底させれば
若い者は老人を大切にして
白髪まじりの老人が
路上で重い荷物などを頭に載せたり
背負わずともすむようになる
七十の老人たちが絹物を着
肉を食べ
一般庶民が飢えも凍えもしない
これこそ
王道政治の仕上げである
このような政治を行なって
遂に天下の王者とならなかった人は
昔から今まで
まだ一度もない
とも説く
五十過ぎの老人が温かい絹物を着られるとか
七十過ぎの老人が肉を食べられるとか
白髪まじりの老人が路上で重い荷物などを頭に載せたり
背負わずともすむようになる
などと語るところに
単なる机上の人ならぬ孟子のリアリズムがある
孟子の為政者論を
吉田松陰が深く読解しようとしたのは
当然ともいえる
萩の野山獄に囚われた吉田松陰は
獄中で人々に孟子を講じたが
その時の講義録やメモを元にして書かれた
『講孟余話』には
面白い指摘がある
讀みて而(しか)も道に得る者、或は鮮(すくな)し。
何ぞや。
富貴貧賤、安樂艱難の累(わずら)はす所となりて然るなり。
孟子を読んでも
道を得る者が少ない
どうしてか?
生活上の富貴や貧賤
安楽や艱難などに
邪魔されて
そうなってしまう
と
松陰は言っている
ここのところを
富貴や安樂という
順境にある人にはそれができない
貧賤や艱難という逆境にある者には
できる
と解する人々がいるが
そうではないだろう
生活上の富貴や貧賤
安楽や艱難などに
いちいち心を動かされ
流されて
精神や意識が乱されてしまい
古典読解の純度が損われてしまう
と松陰は言いたかったのではないか?
富貴であれ貧賤であれ
安樂の身であれ
艱難の中であれ
読んだり
学んだりする精神状態は
一定の安定を保てるようでなければならない
実生活上の
その時々の状態に左右されるな
読む者
学ぶ者
読解者は甘えるな
と
言いたかったのではないか?
そうであるからこそ
同じ『講孟余話』に現われる文句
学問の大禁忌(だいきんき)は作輟(さくてつ)なり。
という
学びにおける基本精神の確認も
意味を持ってくる
なにかを学ぶ際に絶対にしてはならないことは
やったりやらなかったりすることである
という意味である
★
梁惠王日、寡人之於國也、盡心焉耳矣、河内凶、則移其民於河東、
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