日本の6月は
雨がいっぱい降る時期ときまっていて
あまり降らなかったりすると
逆に
たいへんなこと
子どもの頃は
雨はめんどうで
いやで
きらいだった
食パンを冷蔵庫や冷凍庫に入れたりする
発想のなかった昔は
6月といえば
買って来た食パンには
すぐにカビが生え
生えたところを毟ったり
焼いたりして
食べようとすると
パンの量はずいぶん少なくなり
かたちも
いびつになってしまった
けれども
傘と長靴さえあれば
雨の戸外に出るのはけっこう楽しく
水たまりでは跳ね散らかし
傘をさかさまにして
雨を溜めてみたりして
どう見ても
めんどうでも
いやでも
きらいでもない
振舞いだった
ほんとは
けっこう楽しんでいたんじゃないのか?
と
いまになると
思い出されてくる
ずいぶん歳を重ねてくると
どうしたことか
ほんとうに
雨が好きになってきた
窓から
降っている光景を見たり
傘を差して外に出たり
そうするだけで
雨は楽しい
なんでこんなに
好きになってきたんだろう?
と思ううち
気づいたことが
ひとつあった
子どもの頃から
いまに至るまでに経験した
さまざまな雨のことを
さまざまな雨とともに起きたことを
さまざまな雨のときにいっしょだったひとびとのことを
終わることなく
つぎつぎと思い出し続けるのだ
ただ雨が降っている
というだけで
さまざまなことやひとびとや光景が
つながって
思い出され続けてくる
それが
楽しいのだった
映画を見るより楽しいし
YouTubeなんかよりも楽しい
雨が媒介して
えんえんと続いていくじぶんだけの動画に
こころのなかを
奪われ続けてしまうのだ
面白いのは
ごく小さかった頃にあてがわれた雨傘が
いまも手に握っているように
ありありと見えてきたり
小学生の頃の雨傘も見えてきたり
学生時代の折り畳み傘の
軸近くに穴が開き始めてきたのも見えたり
ついこの間まで何年も使った
ビニール傘が
骨が折れてしまう前のすがたで
ふたたび手のひらに戻ってきたりすること
ちょっと強く想像力を使えば
これまで使ってきたたくさんの傘たちが
どれもみんな
使えるかたちで戻ってきて
手のひらに
握りしめられること
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