2015年1月30日金曜日

これら とりいそぎの言葉も…



半年も続いた
ながい長い対局のあいだに衰弱していき
終わってから
ヒュウと
宿に居たまゝ逝ってしまう

川端康成は
そんな碁の老名人のことを
ずっと付きっきりで取材し続け
『名人』に書いている

終わりのところで
名人の遺骸が運び出される時
川端は妻に言う
「いやだ、いやだ。もう人に死なれるのはいやだ。

そして
また
「花がない。おい、花屋はどこだった。花を買って来いよ、
「車が出るから、いそいで…

川端がいちばん信頼し
親しんだ作家は
横光と三島だったらしい

横光に逝かれた時には
「僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく。
と弔辞して
その後の方向を決め
孤独な歩みを進める決意をして
耐えた

年少の三島に逝かれた時には
本当に参ったらしい
もっと差し迫った気持ちで
「いやだ、いやだ。もう人に死なれるのはいやだ。
と心底思っただろうか

三島の死後
二年ほどで自殺することになったのも
人に死なれるのに
懲りたからかもしれない
耐えられなくなったからかもしれない
先に自分が死んでしまうほか
逃れようがなくなったか

そういえば
『雪国』では
火事で気を失った葉子のことを
「この子、気がちがうわ。気がちがうわ
と駒子が叫び
押されてよろめいた島村は
「踏みこたえて目を上げた途端、
「さあと音を立てて天の河が
「なかへ流れ落ちるようであった
と終わる

「いやだ、いやだ。もう人に死なれるのはいやだ。
にしても
「この子、気がちがうわ。気がちがうわ
にしても
存外
素直すぎるほどの
川端の叫びであっただろうか

ぎりぎりのところで
かろうじて
努めて
この世のへりにひっかかってきた人の
叫びであっただろうか

「この子、気がちがうわ。気がちがうわ…

「いやだ、いやだ。もう人に死なれるのはいやだ…

さらには
「花がない。おい、花屋はどこだった。花を買って来いよ…
「車が出るから、いそいで…

これら
とりいそぎの
言葉も…

                                  
   

そんな時にはそれでいいのに



 
ちょっと高めのカフェに呼ばれて
相談事に乗り
それが終わってお勘定
となった時
ちょうどいいだけの細かいお金がないわ
とKさんが言う

だいたいでいいですよ
ちょっと少なくても
多くても
別にいいでしょう
と返したが
そういうわけにはいかない
とKさんがまた言う

それじゃあ
今回は出しておきますから
次の時にでも出してもらえば
とさらに返したが
そういうわけにはいかない
とKさんがまたまた言う

とりあえず
ぼくがまとめて払って
貰ったおつりでなんとかしましょう
と払ってみたら
ちょうど数千円に近い額で
おつりはほとんど来なかった

これじゃあダメですね
やっぱりこの次でいいですよ
と終わらせようとしたが
そういうわけにはいかない
とKさんがまたまたまた言う
他の人たちと手持ちの小銭を見せあって
「Yさんからこれを貰って
「私がこれを返し
「Bさんからこれを貰って
「私がこれを返し
と両替しあったりして
なんとかやりくり

ようやく解決したらしく
「うまくいきました
「じゃあお金
「ここに置きます
「では急ぐので
「それではまた
とさっさと去っていくので
急にあわただしくなり
ニコニコしたり
挨拶したり

みんなが去った後
テーブルに置かれたお金を
はじめてちゃんと見てみると
Kさんは自分のお茶代だけを置き
それ以外のお金は財布の中に入れてしまい
ほかの人たちの分は
置いていくのを忘れてしまっていた
ああだこうだと
みんなのあいだで両替しあっただけで
もうアタマがいっぱいになり
すべて済んだと思ってしまったのか

私はといえば
二千円近くをもらい損ない
キツネに騙されたような気持ち
長いつきあいだし
こんなこと
わざとするKさんでないのは知っているから
うっかりポカにちがいないが
私はといえば
しっかり実費をもらい損ない

二千円近く程度のことで
あのぅ
もらってないんですが
などとKさんにメールするのもビミョウだし
次の会った時に言うのもナンだし
かといって
私はといえば
しっかり実費をもらい損ない

次でいいよと言われたり
ぴったりでなくてもいいよと言われたり
そんな時にはそれでいいのに
いかにもちゃんとしているかのように
細かくケリをつけようとするから
こんなふうに
かえって他人に迷惑をかける
そんな人たちがいる
そういえば
十円や一円まできっちり出そうとする人たちに
けっこう時間を取られたり
煩わされたり
いろいろとあったなァ
あるなァと
あれこれ思い出し

こっちは
時間と配慮の労の浪費を避けようとして
次でいいよ
ぴったりでなくてもいいよ
と言って早く終わらそうとしているのに
つまらない律儀さを見せようとして
かえって他人に迷惑をかける
そんな人たち
いるなァ
いるよなァ
座ったまゝ
しばらく
ボーッと考えてしまう

他人がそれでいいと言っているなら
その場は
そのまゝきれいに受け入れ
そのまゝさっぱり負い目を受ける
そんなことのほうが
いろいろと他人は助かるのに
そうはできず
律儀さを貫徹しようとする人って
エゴかなァ
やっぱり
小ささかなァ
やっぱり
座ったまゝ
しばらく
ボーッと考えてしまう

                                  
   


木瓜の花



梅にくらべ
見劣りもする花ながら
この木瓜の花
一株を
見そめた
見そめた
マーケット

木がまだ低く
だからこそ
花のぐあいもちょうど好く
ちょっとキレイな
木瓜の花

数週間
楽しめそうな
木瓜の花

うちの白梅
粒々と
蕾を付けているわきに
さっそく置いて
木瓜の花

すでに開いた朱の花の
いくつか明るく
木瓜の花

屈託なげに
楽しげに
心をほぐす
木瓜の花




2015年1月28日水曜日

…しかし私はどうでもいいような気がしてきた



直木賞の元になった直木三十五の大衆小説を
今でも読む人はいるのだろうか

死も近い頃
彼にしてはずいぶん珍しいかたちの
『私』という私小説を書いたが
飼っていたらしい梟のことがそこに出てくる
「お前淋しいことはないか
などと梟に言うのだが
梟のほうはテーブルの上の新聞を突いている
新聞には本因坊名人と呉清源の碁の対局が出ている
それを見ながら
「碁打ちは羨ましい
と直木は言うが
それは碁が
「無価値と言えば絶対無価値で、価値と言えば絶対価値である
と思えるかららしい
そんな碁と比べて
自分が心身をすり減らし命を削って書き続けてきた
大衆小説の価値はどうか
それを考えてみようとしながら
こんなふうに書いている

「―そういうことに近頃はだんだん飽いてきた。
「今夜の九時までに三十枚の原稿を書き上げなくてはならぬが
「もう午後四時過ぎである。
「しかし私はどうでもいいような気がしてきた。
「一日位梟と遊ばしてくれてもいいだろう。
「私は自分の為めにでなく、
「どんなにジャアナリズムと係塁の為めに働いて来たか?
「そしてそれがいかに冷酷に私を遇したか?

書くのが好きで
お話を拵えるのが好きで
大衆作家になっていったには違いないが
次々と間断なく書いていかねばならなくなれば
もともと好きだったことだけに
心の中では途方もない苦行となっていたに違いない
落ち着いてじっくりと想を練り
思いを深めて書くというようなこともできず
時間に追われてやっつけ仕事をしては
また次
また次
と書くうちに
結核性脳膜炎で四十三歳で亡くなった

ぼくは中学生の頃
直木三十五のものは楽しんで読んだ思い出がある
『黄門廻国記』などは一時期愛読書だったが
中学生ながらに
いつまでもこんなものを読んでいてはダメだな
と思いながら読んでいた記憶がある
ある時ニーチェやヘッセやボードレールを開いてみて
こっちのほうがすごいや
と思って鞍替えし
わからないながらも
とにかく飲み込むようにしてつきあい続けた
それ以来直木に帰ってはいない

けれど
今になって思うのだ
ほんとうに
直木三十五はニーチェなんかよりダメだったのかなと
少年が生意気な青年になっていく時期には
たくさんのものを
あれもダメだ
これもダメだ
と切り捨てていくものだが
そんな青臭い時代をはるかに過ぎてしまえば
もう一度リサイクルの時代が来る
来るべきかもしれない

ヴィトゲンシュタインだって
こう言っていたではないか
「馬鹿馬鹿しくて単純素朴なアメリカ映画からは
「その全くの馬鹿馬鹿しさのゆえに教えられるところがある
「たわけてはいるが単純素朴ではないイギリス映画からは
「教わるところはない
「わたしはしばしば、馬鹿馬鹿しいアメリカ映画から学んできた

馬鹿馬鹿しくて
単純素朴で
大衆的なものから
学ぶことのできなかったわが青年時代の
かわいそうな直木三十五

「しかし私はどうでもいいような気がしてきた。
という言葉に
今になってグッと引き戻されるような感じだ

「しかし私はどうでもいいような気がしてきた。
という言葉が
ボードレールの詩句のそこここに
あってもおかしくない言葉だということを
今はよくわかってもいるし




2015年1月25日日曜日

計測する必要



ここに
わざとトボケたことを書いたり
バカみたいなことを記したりするのも
必要があるから

知っていること
考えていること
思っていることの
たぶん
100分の1も書き記したりはしていない
できるわけもない
こんな公開のネット上では
あたりまえのこと

あたりまえのこと

とはいえ
だからといって価値がないとは
まったく
思っていない

世界で起こっていること
起こるだろうこと
じぶんの身のまわりのあれこれ
実生活上のこと
それらも大事には違いないだろうが
それらだけのために人は生きるのでもないし
それらだけで生きられるのでもない
むしろそれらは
べつのものを生きるための材料
世界も社会も現在もじぶんも
ただの材料
だれも世界や社会や現在やじぶんのためになど
生きてはいない

わざとトボケたことを書いたり
バカみたいなことを記したりするのも
必要があるから

新聞記事や
お役所言葉や政府発表や
ぺらぺら薄っぺらい政治家答弁のような
あんな言葉と態度では
舵取りしようにもできない方向を
計測する必要に
迫られ続けているから

                                  
   

2015年1月24日土曜日

シナイ山の下の




人はあゝも言い
こうも言う
どうとでも言う
なんとでも言える
どちら向きにも理屈は作れる
おなじ原理を使って
相反する理屈を組み立てる思考実験もできる
いくらでも
何度でも
精緻に複雑に

それを叡智だの
文化だの
業績だのと
褒め称える慣習まである
そんな慣習にコバンザメして
金を稼ぐ輩も
いつも
いまでも
いつまでも
いっぱい

まるで議論などというものが価値あるものかのように
さんざん時間を費やしたのちに
そうして結局
じぶんたちはなにがしたいんだ
なにがしたかったんだ
という
ふり出しに戻る

自由がほしかったんだろう?
平等がほしかったんだろう?
平和がほしかったんだろう?
世界中を旅したかった?
他人に勝ちたかったんだろう?
月にも火星にも行きたかった?

だが
なんのために?と尋ねると
だれも答えられない

ほしかったもの
ほしがるべきだと言われてきたものは
たいてい
なくてもよかったか
だいたいの程度
あったりなかったりすれば
よかったもの

どんな場所でも
どんな境遇でも
一見すっかりなくなってしまったかに見えても
完全に失われることなどありえないもの

どうせ死ぬのに
どうせ衰弱して
必死に掻き集めたものも
力の失せた腕では使えなくなるのに
肉の落ち切った足腰では
モノのところまで歩いて行くこともできなくなるのに
モノを認知さえできなくなるのに
…などと正論をまっ先に言えば
うしろ向きだとか
さびしいとか
虚無的だとか
そんなふうに言って
はかないお祭りを続けようとする人ばかりの
シナイ山の下の
あいもかわらぬ偶像崇拝の
人びと



これが春



すこし楽な服で過ごしすぎてしまった冬だから
ちょっとおめかししてみようかなと
思いはじめていないでもない
シャツにしっかりアイロンをかけたり
なくてもいいといえばいいような
手間をわざわざかけた服装を考えたりして
出歩かなくってもぜんぜん問題ないようなところへ
時間をかけて出かけて行ってみようかなと
思ったりしてきている

ながい経験から断言するけれど
これが
春っていうことなんだ





見えなくても見える



   
あたりまえのことを
(たゞエネルギーの浪費を避けるために…)
言わないようにするのならば
この二週間ばかり
ニッポンは
大相撲でしずかに沸いていた
というところか

もう早い梅が咲きはじめている

あゝ、ことしも梅の時期まで
生きていられた
生きていてくれた
と思う人たちの心が
少しずつ
梅のつぼみに
入っていくのが
見える

見えなくても
見える



   

2015年1月22日木曜日

誰が見てしまっている?


  

蜜柑をふたつ置いて
そのわきに
小さな辞書を立てたまゝにしている

ヴェネチアに来て
五日目

運河の大きな入口近くのホテルで
自身への手紙を
厚い立派なレターペーパーに
かりかり音を立てながら
羽根ペンで認めている
リヒテンシュタインの白い肌の青年から
来週にも届くだろう手紙の文面を
すでに今から
見てしまっている

ヴェネチアに来て
五日目

誰が来て
誰が五日目?

誰が認め
誰が見てしまっている?




2015年1月20日火曜日

行かないでいいかなと

  


書店で「みちのくの仏像たち」展の
しおり兼割引券をもらったが
たぶん行かないだろう
100円しか引かない割引でもあるし

そんな金銭的な理由よりも
国宝が少なそうだから
行かないでいいかなと思っているのだが
もちろん国宝に執着があるのでもなく
重文がよくないなどと思い込んでいるわけでもない

たゞ
いろいろと見てきた結果として
やはり国宝と重文との言うに言われぬ違いは歴然とあって
これはすばらしいなあと
しげしげ見続けてしまうものはたいてい国宝で
悪くはないが今ひとつなにかが足りないかもしれないなと
ちょっとすかすかした気持ちになってしまうものは
重文の場合が多かった
いい加減な素人判断と言えば言えるが
素人判断なのに国宝/重文の差異と合致していることが多いのが
けっこういい加減ではない不思議なところ

とはいえ
重文でも部分的には国宝級の素晴らしいところがある場合も多く
どうこう言っても
ごねても
迷っても
やっぱり見に行くかもしれないなあ
この「みちのくの仏像」展

                                  
   

2015年1月19日月曜日

平成二七年一月十八日であったのだ




古今和歌集の深読みを続けていたが
本の山の林立している書斎で
蹴躓いて山のひとつを崩してしまった
ジイドの『田園交響楽』の1978年印刷のフォリオ版*
まるで見えない手で置かれたように床の上に落ちた
手にとって少し行を追ううち
三日間降りやまぬ雪が道を閉ざしている…という冒頭から
もう引き込まれていた
古今集を止めて読み始めたら
数日後
深雪の青森に飛ぶ用事が舞い込んだ

意識がどう繋がったのか
ジイドを読むうち
無性に川端康成の文章が読みたくなった
数週間前すでに『波千鳥』『雪国』『禽獣』を読み直していて
その後『山の音』の再読にかかっていたが
別のものが読みたかった
書架に並ぶあれこれを開いてみながら
ちょうど気分が合うものが『名人』だと感じた
内容が問題ではなく
文体や改行のしかたなどが
今の気分にいちばん合っていた
いつものことだが内容や物語で読む本を決めることはない
文体や字面や改行のしかただけに触れたい
人生や社会や風景や人と同じで
内容というものには何の興味もない

夜も遅くなってきていたので
本当に読み出すのは明日からということにして
寝床で漠然と最初のページだけ眺めていた
囲碁の名人第二十一世本因坊秀哉の
熱海のうろこ旅館での急死のことから語り出されているが
それを読みながら
小さな稲妻を受けたような驚きを覚えた
昭和十五年一月十八日に本因坊秀哉は死んだというのだが
平成二七年一月十八日であったのだ
なんの必要もなく気まぐれから『名人』を選び
こうして冒頭から見始めたのが



*André Gide, La Symphonie pastrale,1925(Gallimard,Folio,1978).