2015年1月3日土曜日

やがて羽化していく

   

いつものように年賀に行っても
老いの進んだYさんはだいぶぼんやりとしていて
からだはだるいし
背骨の骨折をしてからは
いつも筋が引っぱられるようになった背中が痛む
動くのを手伝おうにも
ちょっとでもよくない方向に引っぱると
うわあ、痛い痛い、殺す気かあ!
などと叫ぶ

殺す気じゃないんだけどね
まわりの人間は
生かそうとしているのだけれど
殺す気かあ!という
その時ばかりはガラッと元気になり戻っての
たいへんな剣幕の叫びに
ふと思わされる
〈生かそうとするのが
〈殺そうとするような場合もあるのかもしれない
〈もしその人のイノチが別の道をたどり出しているなら…

じぶんで積極的に水も飲まなければ
運動もしなくなり
すべてについて小さな工夫もしなくなってくると
起きるのも寝るのも
ちょっと姿勢を変えるのも
食べるのも
とりわけ排便も
とほうもない厄介事になっていく
トイレに連れていけば物事は解決するわけでなく
床にオシッコはふりまかれるし
ウンチも出きらずに肛門にかたく停滞したり
巌のようにこびりついたりする
もっと水を飲めばそれだけでも解決していくはずだが
旨く感じなくなった水など飲まないのだから
ウンチはいつもかたくかたくなる
アタマがしっかりしていればじぶんなりに少しは考えるが
もうそういうことはしない
少しでも楽なほうへ
なにもしないほうへ
好きな味のほうへと
かろうじて動くばかりで
まるで大きなカラダで生まれてきた乳児のようだ

Yさんにはまだつきっきりで看護する家族がいるからいいが
おなじように老いて衰弱してきているたくさんの人たちが
世の中のそこかしこにただの蠢きのようになっているのを思うと
世界について持ってきたイメージのうち
キビキビぴちぴち溌剌とした動きのあるものは
アタマのなかで自然とお蔵入りになっていく
看護する人たちはじぶんの腰を痛め膝に無理をかけ
底の抜けたバケツみたいに時間はどんどん消えていき
じぶんなどというゼイタク品はやむを得ずほったらかしにして
蠢くふしぎな生物といっしょに新生物になって
朝も昼も夜ももう不分明なイノチに変化していかねばならない

Yさんの家の居間はもうすっかり
物干し竿を常備しての物干し場所になってしまった
布団の上にもトイレにも後から後からオシッコを撒くし
ウンチを拭こうとして手で拭ってしまい
それをまた壁で拭おうとしたりするものだから
布団だの毛布だのタオルだの雑巾だの
後から後から洗うものがフル稼働で生産され続け
もう外の洗濯物干し場では足りない
冬など戸外ではなかなか乾かなくもなるから
ストーブを点けた室内が絶好の干場になっていったらしい

こんなYさんを見ていると
まだまだいいほうなのだと思えるが
まだまだいいほうだなどと看護する人たちに伝えるのには
ものの言いようにずいぶん注意しないといけない
まだまだいいほうだと言うのが励みになるか
慰めになるか
こんなに苦労して疲弊しているのにとムッとされるか
そこは微妙なところ
介護する人間はまたそれなりに
介護の過程で別種の異生物に変化し続けていく
介護期間はサナギの期間で
親しくしてきた人間への価値観や自分や世界への価値観を
すっかり一変させて変貌していく場合も多い
愛とか思いやりとか絆とか
そんな規格品の言葉ではもうけっして考えない生物
けれども冷血というのではけっしてない生物が
やがて羽化していく



                                  
   

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