直木賞の元になった直木三十五の大衆小説を
今でも読む人はいるのだろうか
死も近い頃
彼にしてはずいぶん珍しいかたちの
『私』という私小説を書いたが
飼っていたらしい梟のことがそこに出てくる
「お前淋しいことはないか
などと梟に言うのだが
梟のほうはテーブルの上の新聞を突いている
新聞には本因坊名人と呉清源の碁の対局が出ている
それを見ながら
「碁打ちは羨ましい
と直木は言うが
それは碁が
「無価値と言えば絶対無価値で、価値と言えば絶対価値である
と思えるかららしい
そんな碁と比べて
自分が心身をすり減らし命を削って書き続けてきた
大衆小説の価値はどうか
それを考えてみようとしながら
こんなふうに書いている
「―そういうことに近頃はだんだん飽いてきた。
「今夜の九時までに三十枚の原稿を書き上げなくてはならぬが
「もう午後四時過ぎである。
「しかし私はどうでもいいような気がしてきた。
「一日位梟と遊ばしてくれてもいいだろう。
「私は自分の為めにでなく、
「どんなにジャアナリズムと係塁の為めに働いて来たか?
「そしてそれがいかに冷酷に私を遇したか?
書くのが好きで
お話を拵えるのが好きで
大衆作家になっていったには違いないが
次々と間断なく書いていかねばならなくなれば
もともと好きだったことだけに
心の中では途方もない苦行となっていたに違いない
落ち着いてじっくりと想を練り
思いを深めて書くというようなこともできず
時間に追われてやっつけ仕事をしては
また次
また次
と書くうちに
結核性脳膜炎で四十三歳で亡くなった
ぼくは中学生の頃
直木三十五のものは楽しんで読んだ思い出がある
『黄門廻国記』などは一時期愛読書だったが
中学生ながらに
いつまでもこんなものを読んでいてはダメだな
と思いながら読んでいた記憶がある
ある時ニーチェやヘッセやボードレールを開いてみて
こっちのほうがすごいや
と思って鞍替えし
わからないながらも
とにかく飲み込むようにしてつきあい続けた
それ以来直木に帰ってはいない
けれど
今になって思うのだ
ほんとうに
直木三十五はニーチェなんかよりダメだったのかなと
少年が生意気な青年になっていく時期には
たくさんのものを
あれもダメだ
これもダメだ
と切り捨てていくものだが
そんな青臭い時代をはるかに過ぎてしまえば
もう一度リサイクルの時代が来る
来るべきかもしれない
ヴィトゲンシュタインだって
こう言っていたではないか
「馬鹿馬鹿しくて単純素朴なアメリカ映画からは
「その全くの馬鹿馬鹿しさのゆえに教えられるところがある
「たわけてはいるが単純素朴ではないイギリス映画からは
「教わるところはない
「わたしはしばしば、馬鹿馬鹿しいアメリカ映画から学んできた
馬鹿馬鹿しくて
単純素朴で
大衆的なものから
学ぶことのできなかったわが青年時代の
かわいそうな直木三十五
「しかし私はどうでもいいような気がしてきた。
という言葉に
今になってグッと引き戻されるような感じだ
「しかし私はどうでもいいような気がしてきた。
という言葉が
ボードレールの詩句のそこここに
あってもおかしくない言葉だということを
今はよくわかってもいるし
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