吾が身の陽の元を以て、汝が身の陰の元に合はせむと思欲ふ。
『日本書紀』上代
人の命はなぜ脆いのか
『日本書紀』は神代下で明解に答えている
天照大神(アマテラスオホミカミ)の孫の
天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)が
大山祇神(オオヤマツミノカミ)の地に到り
宮殿を建てて住んだ
浜で美女の神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)
またの名で呼べば木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)に出会い
妻にしたいと言う
神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)
またの名で呼べば木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)は
大山祇神(オオヤマツミノカミ)の娘だったので
父に尋ねてほしいと答える
そこで天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)
大山祇神(オオヤマツミノカミ)に話すと
大山祇神(オオヤマツミノカミ)は娘ふたりを差し向けてきた
神吾田鹿葦津姫((カムアタカシツヒメ)
またの名で呼べば木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)と
その姉の磐長姫(イワナガヒメ)である
天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)
召さずに送り返した
妹の神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)
またの名で呼べば木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)と交合した
神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)
またの名で呼べば木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)
磐長姫(イワナガヒメ)は大いに恥じて呪った
「もし退けられずに私が子を産んだならば
子は命長くいつまでも死なない存在になったであろうに
しかし妹ばかりを召されて身籠もらせたので
生まれる子は必ず木の葉のように散り落ちていくだろう」
ヴァリアント収集の書でもある『日本書紀』は別の説も記している
磐長姫(イワナガヒメ)は恥じ恨んで
「
とまで言った
と
人民を意味する「青人草」は
『日本書紀』の記述にもっと即した表記では
「蒼生」となっていて「あをひとくさ」と読んでいる
岩波書店の「日本古典文学大系」版では
このくだりは
「顕見蒼生(うつしきあをひとくさ)は、木の花の如(あまひ)
俄(しばらく)に遷転(うつろ)ひて衰去(おとろ)へなむ」
とされている
われらが顕現界で
元気に見えていた人が急に衰弱して没したり
そうでなくとも
老いさらばえたり
病に冒されて衰えて逝ったりするのは
とりあえずは
天照大神(アマテラスオホミカミ)の孫の
天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)が
磐長姫(イワナガヒメ)を「醜し」と見て
返してしまったことから生じてきている
神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)
またの名で呼べば木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)を
「有国色(かほよし)」と見て
引き寄せて「幸(みとあたは)しつ」とあるから
“ミトを当て合わされた”
男女の性器を合わせた
と『日本書紀』は記述しているわけだが
「有国色(かほよし)」の女の「ト」への嵌めぐあいが
「醜」いと見える女の「ト」への嵌めぐあいに勝るとは限らず
ひょっとしたら天津彦彦火瓊瓊杵尊(
目くるめく恍惚の交合を逸したのだったかもしれない
まだ若い男神であったのだから
姉妹ふたりをひと晩の間に抱くのは容易であっただろう
色道に疎い男神だったと言ってしまえばそれだけのことだが
いかに磐長姫(イワナガヒメ)を「醜し」と見たとしても
明かりを消して抱いてみれば
また別のよさがなかったとも言えまい
いずれにせよ
天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)の
軽佻浮薄な面食いの性質から
全人類の命の脆さが生じてきてしまうに到ったのだから
こいつ
放っておくわけにはいかない
しかも
一夜で妊娠した妹姫の
神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)
またの名で呼べば木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)
「ひと晩で妊娠するだろうか?わが子ではないのではないか?」
などとひどいことを言っている
言われた神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)
またの名で呼べば木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)はキレて
出産の際に部屋に火をつけて
「生まれてくる子が他の神の子ならば
子は不幸になるでしょう
本当に天孫の
天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)
火などものともせず
ちゃんと無事に生まれてくるでしょう」
と危険な証明を行なってみせることになる
この点でも
天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)は
ちょっとガッカリな
残念な男神なのである
ともあれ
燃えさかる部屋から生まれ出てきたのが
火酢芹命(ホノスセリノミコト)
火明命(ホノアカリノミコト)
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)またの名を火折尊(
の三神だが
これはヴァリアントによっては
火酢芹命(ホノスセリノミコト)
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)またの名を火折尊(
の二神とされている場合もある
火酢芹命(ホノスセリノミコト)がいわゆる海彦
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)またの名を火折尊(
いわゆる山彦である
ところで
“ミトを当て合わされた”
男女の性器を合わせたという
「幸(みとあたは)しつ」の「ミト」については
「ミ」が神や天皇の物や行為につけられる尊敬の接頭語で
「ト」は男性・女性を象徴する器官をいうが
語源的には
「瀬戸(セト)」「門(ト)」「喉(ノミト)」などにあるように
狭い水流や狭い通行点や通過点を表わす「ト」
短小の男根を一部の黒人女のような広い膣に挿入した際の
いわゆる「大平洋に棒一本」状態の悲喜劇交合ならば
“ミトを当て合わされた”
とは言いづらくなるので
神代の日本列島の女たちの膣は「ト」状態であったということか*
ちなみに
「嫁ぐ」という際の「ト」も性器を表わす「ト」であり
しかも「ツグ」は
順次に続くことや
欠けたところを塞ぐことなので
性器を合わせて塞ぎ
性器を合わせて塞ぎつつ家の代々を順々に継いでいく
というようなことを表わすことになるので
「嫁ぐ」というのは
露骨に性的な意味あいの言葉である
現代の結婚式の謳い文句の「嫁ぐ日」だの
「今日嫁いでいきます」だの
そういう発言に出会った時には
ニタニタして
「頑張ってこいよ」
などと言って送ってやるのが
やはり
ふさわしい
『日本書紀』 上代の
大戸之道尊(オホトノヂノミコト)や大苫辺尊(
大戸之道尊(オホトノヂノミコト)が「大きい『ト』の男性」
大苫辺尊(オホトマベノミコト)は「大きい『ト』の女性」
ということになり
大戸之道尊(オホトノヂノミコト)
大苫辺尊(オホトマベノミコト)のほうは
中が広くてブカブカ
スカスカの膣だったということなのか
それでもなんの問題もないほど
大戸之道尊(オホトノヂノミコト)の巨根が見事だったのか
あるいは
大苫辺尊(オホトマベノミコト)のクリトリスが大きくて
弄り甲斐のある名品であったのか
まあ
いろいろと思わされ
夜も更ける
日も昇る
月日は流れ
わたしは残る**
*このあたりの考察は、岩波文庫版『日本書紀』(一)の補注(p
**堀口大學訳のアポリネール「ミラボー橋」より