2023年11月30日木曜日

草の青さの気持ちよい春の暖かい土手の上でぼくと向田邦子は

 

 

 

ちょっと前

向田邦子の夢を

ふいに

と言いたいほどの唐突さで見たのだが

ぼくの人生のなにかや

ぼくの奥底の精神のどこかが

大きく変容しでもしたのだろうか?

 

というのも

というのも

 

昭和の一時期

1970年代から

彼女が飛行機事故で死ぬ81年まで

テレビドラマ界は

向田邦子一色だったし

1980年に直木賞をとって

作家としてもはっきりと地位を確立して

書店でも向田邦子の名で溢れていたというのに

ぼくは個人的に

向田邦子のタッチが大嫌いで

なんだか

お新香くさい

味噌汁くさい

いかにも昭和な家族話を

べったりと見せつけられるようで

どうにも我慢ならなかった

からだ

 

社会問題を扱わない

扱えない

物語的にも冴えのない

有吉佐和子のドンクサ版を

畳にちゃぶ台的な暮らしかたの

いよいよ

滅却させられはじめた

昭和の

最終章の時期に

見せつけられているような

感じがした

 

小説でも戯曲でも詩歌でも

なんでもかんでも読むタチだったので

向田邦子の本も手に取ってみたが

どうにも読み進められない

ぜんぜん面白くない

ああ、ドンクサ!

とばかり

感じる始末だった

 

いまふり返ってみれば

YMOやユーミンや

大滝詠一や山下達郎や

松田聖子などが

昭和の色彩を

爆発的に塗り替えようとしていた時期に

ドンクサ昭和家庭風俗を

ひとり背負った向田邦子だったので

ぼくが向田邦子を読めない!

というのは

時代的な分断現象としてこそ

見直すべきことだったかもしれない

 

そうでなくとも

当時のぼくの頭のなかは

ドゥルーズ+ガタリやフーコーや

ヴィトゲンシュタインや

バルザック全集や

ドストエフスキーや

ランボーや

ロートレアモンでいっぱいだったので

向田邦子の入り込む余地が

ほとんどなかったのは

まあ

しょうがない

いまなら

思える

 

ところが

そんな向田邦子の夢を

後藤明生の小説の仕込みなみに

ふいに

唐突に

見たのである

 

ぼくは向田邦子の家を訪ねていて

それほど立派でもない書き机を眺めたり

その机からは台所の上にあるけっこう広い窓が見えて

外に見える通りを人が歩いて行くのが見えたり

雑草が見えたりして

なかなかこういうのも悪くないな

などと思ったりしていた

 

向田邦子の終の住処となった

東京都港区南青山五丁目のマンションでもなく

彼女がひとつ前に住んでいた

東京都西麻布三丁目(旧霞町)のアパートでもおそらくない

もうちょっと庶民的な

下町的な感じのある部屋だった

 

夢のなかの向田邦子は

そこで

ごくふつうの中年女性という感じで

暮らしているのだった

 

その住まいのすぐわきに

川の土手のような高台があって

そこに出て

記念写真を撮ろう

ということになった

 

こちらは

向田邦子のものをぜんぜん読んでいないが

テレビドラマなどは見たことがあるし

作品の話はひとから聞いたりしていたので

話に困ることはなかったけれど

それでもバカ正直に

「向田さんのもの、あまり読んでないんですけど」

などと言うと

「いいわよ、読まなくっても」

と答えてくれて

なかなか寛大なひとだなと思った

 

とにもかくにも

あの有名な

一時代の寵児の向田邦子が

いっしょに写真を撮りましょう

と言ってくれるのだ

そりゃあ

撮っておこうと思うよね

 

向田邦子の助手をしている若い子たちに

写真を撮ってくれるように頼む

というのだけれど

ところが

ところが

来るはずの若い子たちが

なかなかやって来ない

 

土手の上の道で

遠くにふたり

若い子がいるのが見えるので

「はやくいらっしゃい!」

と向田邦子が呼ぶのだが

それでも

なかなか来ない

 

待っていれば

そのうち来るでしょうけれど

いまの若い子たちって

こういうところがダメね

だらだらしてんのよ

まったくねえ

などと向田邦子は言い

それを聞きながら

草の青さの気持ちよい春の暖かい土手の上で

ぼくと向田邦子は

若い子たちのほうを見続けて

待っている

 

古本屋で

一冊百円とか

場合によっては

三冊百円とか

いまでは

そんな値段でいくらでも買える

向田邦子を

買って読んでみるかなあ

 

がらっと

宗旨替えするように

して





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