もし
限界性を少しでも減らし
非存在さえも含めた全的な存在であろうとするなら
「わたし」のあらゆる社会化や
人界化を止めることだ
ただのI amであること
シナイ山の上で
神がモーゼに告げた自称のように
神が「神」と自称すれば
人界の言葉である「神」に
発語者は限界づけられてしまう
神は
人界の言葉である「神」に
限定づけられては
ならないから
もちろん
I am
さえ捨てていかなければならない
存在は
「存在」という語で示される必要がない
示されなくても
存在しているから
真理が
「真理」と呼ばれる必要もなく
「真理」として擁護される必要もないように
真理は
それそのものとして真理であり
人界の知的・心情的な概念ゲームによって
支えられる必要はない
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