(この古い書きものを、今は亡きベスの思い出として再録する)
子のアレンに
聖霊のベスに
父の名において
もう36になるんだな
むすこからきた手紙には「ことし、
19になるよ。ぼくを生んだ時のかあさんと
おなじ歳」
気にとめないできたけど
するときみも2年もまえに
わたしが父になった時の歳を
過ぎてしまったわけか
16できみのかあさんと出会って
まるできみが身ごもられるためのように
ふいに静寂のおとずれた夏の宵
大樹の下のわたしたちからは西空に
まだとほうもない日没の大火災がうつくしく
はじめてベスの胸に鼻をうずめて
きみを生むことになるおんなの汗のにおいに
わかい脳髄の均衡の支えを解いた
ベスはことば少なに虫の音の高まる中
わたしをなめらかなところに導き
かたさにわたしが逢着するとすこし待ってといい
かたさがゆっくりとゆっくりとそしてふいに
夢のなかで握るひかりのダイヤモンドのように
くずれて雲状星雲となって散乱すると
大地のふかいところからの揺れを腰にうつして
わたしにわたしを捨てるように、いま捨てるようにと
ひたすら花の開花をすすめるのだった
ただ導かれるばかりで情けない気もしたが
きみのかあさんは18だったし
早熟でおとこも薬も扱いなれていたし
これはこれでいいのだとわたしは
あたまのなかを純白にして稲妻となりはてた
16のわたしにとって18のベスは
母よりもはるかに母なるもの
草と夏の宵のかおりがその証だった
ベスがエリザベスという名の愛称ともしらない
ほそく浅黒いからだのアジアの青年だったわたしに
生むわ、とかあさんは言った、「生むわ、
あなたの子なら生んでみたい。そういうひとね。
へんなひとよね、あなた」
そのあと、ぽつりと、「あたし、そしたら、
生まれかわるの」とも
きみが生まれたという手紙がきたのはわたしが
17のときだったからやはりあわてたが、「なんにも
心配しないで。あたし、ぜんぶやるもの。
母も父もよろこんでね。父ってヒッピーだったじゃない?
むすめもやってくれるじゃないかって
けっこう楽しんでるって感じ。
あなたのこと、マイ・バショーってよんでる。
ニッポンって、すごい放浪者の国なんだっていってるけど
ほんとなの?父みたいなひとばっかりじゃ、おたくの国の
歴史もけっこうたいへんそうね。そのうち教えてよ。
そうそう、名前、アレンにしたわ。父の独断。
もちろんギンズバーグのアレン」
バショーからアレンが生まれるのはやはり宿命だろうよ
かあさんになったベスは結婚ものぞまなかったし
養育費も請求しなかったから、年になんどか
クリスマスや誕生日のプレゼントを贈るぐらいで
さいしょから合格するつもりさえない父役をはじめた
トーキョーでいつかいっしょに暮らそうかと書くと「あなたの
書くものじゃ食べられないわよ。物価高いんでしょ、
そっち?それよりここに来なさいよ。たしかに
ちょっと田舎だけど、ロンドンまで1時間かかんないし、
家はあなたの好きな石づくりの家だし」と返ってくる
なんて気丈なおんなだろうといつも思いながら
ギルフォードのマーケットで店員を続けるベスの
こころのうちの平穏を祈った
きみのニッポンのおじいさんやおばあさんはまだ
きみの存在を知らないし、わたしの知りあいのだれひとり
きみのことを知らない。「だれにも言わないでね。あたしたちの
こと。ひみつ。それがあたしのこうふく。あなたがいて、
あたしとアレンととうさんとかあさんがいる。知っている。
それがこうふく。こうすれば、世界のだれも入り込めない」
こう望むかあさんにいったい何があったのか、わたしとの夏の前に
いったい何があったのか、いまも知らないが
生まれかわったエリザベスはきみのかあさんとして
そしてわたしのまだ出会っていないわたしの未来をとうに見つけている
草のかおりの匂いたつあの夏の宵の大地の精として
きみたちのイングランドの田舎で赤い髪を風になびかして
世界のいまとむかしとあすを支えている
ニッポンはまだわたしの息吹を受け入れるには幼い
あいかわらずきみとかあさんをときどき抱きに行くだけで
バショ―の旅はさびしくさびしく続いている
家族も友もいないこの国では神々だけがわたしのなぐさめ
かれらに仕事を頼まれているんだよ
わたしはわたしをとうに分解してしまった
たましいはベスのかたわらに
父の慈愛はきみのかたわらに
ことばはニッポンの神々のかたわらに
いつのまにか旅も帰る旅にかわって
ベスのあの夏の宵の汗のかおりがなつかしい
わたしのよろこびはあの宵のゆたかなからだだけでよかった
からだは死んでもからだのよろこびの記憶は
死が去ったあとの虚空に染みとおったまゝ
戻っていくよとベスに伝えておくれ
わたしは戻っていく
戻っていくばかりなのが
いまの支え
旅はかわる
旅はこれから
戻る旅にかわる
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