2013年5月23日木曜日

詩のほうへ、ほんの少しは、少しでも…





                         詩人が詩を書くのは、自分と同じ言葉を話す人間を見つけるためだ。
                         ジャン・コクトー





詩は一般的文章文の語順を変えるところからしか発生しない

あるいは一般的文章文から助詞や助動詞や接続詞などを意図的に欠如させたり

通用の意味から逸脱する名詞や形容詞や副詞の使用を捏造したり

そんなところからしか

(日本近代詩・現代詩の主流のほとんどを否定するのはそのためであり
(わずかに現代詩の意味分解撹乱系詩が
(見捨てられた年上のお兄ちゃんお姉ちゃん
(叔父ちゃん叔母ちゃん
(お爺ちゃんお祖母ちゃんたちとして
(親しい親しい
(御大切な
(供養対象として
(ある

詩は記号域での交戦行為であり敵は一般的意味伝達様態であるから
しばしば一般性のうちに巣食う記号享受者らの内部に入り込みつつ(彼らの
意味享受の習癖に添いながら)
内側から一般的意味伝達様態を狂わしていく作業が多くなる

―(あゝ、「意味がわかる」って!?
―(くだらない!
―(おぞましい!
―(死!
―(そこでは反/非/無意味たちが死屍累々!

すくなくとも私の場合は

だから

〈そこへと急ぐかたわら
〈目をやった
〈道のはた
〈輪郭もくっきりと
〈小さな
〈黄色い花々が
〈咲いていた

などと書いては
ならず
 
―(おゝ、おぞましき近代詩!
―(近代詩的なるもの!

せめて

〈目をやった
〈道のはた
〈輪郭もくっきりと
〈そこへ
〈そこへと
〈輪郭もくっきりと
〈急ぐ
〈かたわら
〈輪郭もくっきりと
〈咲いていた
〈小さな
〈黄色い
〈花々が

とならべ直して
ほんの少しは
のほうへ

喜怒哀楽など語ってはいけない
喜怒哀楽など騙らねばいけない
すでに死後の発語でなければいけない
あるいは生れてなどいない水子として
言葉はいつも墓標
さらには行き倒れ死体の足指に括りつける記号なのだから
時代の大勢にぬくぬくと湯浴みしていてはいけない
目覚めてから寝るまでの自然や物品との接触
そこから触発される意識の彩のひとつひとつ
それらにNONをまず表明し
それからそれらに同調したふりをして工作員にならねばならない

などと
一般的文章文をただ分かち書きしただけのかたちで作ってから
もちろん
ならび替えや欠落処理などを加えて
詩のほうへ
ほんの少しは

少しでも…

〈いけない喜怒哀楽
〈騙らねば
〈墓標
〈の足指に括りつける
〈死後の
〈記号
〈な
〈ない
〈あるいは生れ
〈湯浴みして
NON
〈いない水子として
〈発語
〈目覚めて
〈接触
〈ぬくぬくと
〈工作員
〈の彩
〈まず表明し
〈ど
〈てなど
〈ひとつひとつ
〈いつも
〈言葉したふりをして
〈語ってはいけ
〈時代の
〈寝るまで
〈でなければいけない
〈喜怒哀楽死体
〈さらに
〈はは
〈なのだから
〈いけない
〈然や物
〈自品
〈すでに
〈勢にいて
〈大はいけない
〈からそ
〈それれら
〈から触
〈からまでの
〈との
〈れる意識
〈に同調
〈にならねばならない
〈行き倒れ
〈の
〈そこ発
〈それらに
〈を
〈など
〈さ



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