2013年5月5日日曜日

バト・シェバ




           可動性を奪われ、性の私的収奪の目的のために
           囲いこまれた娼婦もまた、閉域に封鎖された女性
           という意味で、母や尼僧と変わることがないのである。
                  今福龍太
                  「父を忘却する―混血論2」 in 『クレオール主義』






レバノンに愛人がいて
バト・シェバという名だが、いまさら
隠すこともあるまい
深い褐色のかがやきのナツメグのような乳房と
大きな黒い鹿族の目
ムスクと若い羊の薫りに檸檬をまぜた体臭
そして巨大な石塊のような腰骨と肉のさまが
ぼくの血を心臓をほかの内臓をあの土地で待つのだ

バト・シェバの汗は澄んだ蜂蜜
それを一滴たりと失うまいと
どの谷も丘もさまよった夏があった
黒曜石のかがやきの剛毛の
一本一本をくちびるで磨ききった頃に
ある朝突然の空のしずけさとともに
秋が来て社会が来て義務が来て仕事が来た

ひとりでに動き出し夜をのたうつ腰を
どうしてくれるのと何通も来た手紙は手の上で
ぐしゃぐしゃと音を立てて悶えたが
誰でもいい、腰を鎮めるおとこをさがせ
としか言いようがなかった

秋が逝き社会が逝き義務が逝き仕事が逝くとき
ぼくは血を心臓をほかの内臓をあの土地にやるのだ
離れていたのが無駄だったとは言わせない
なにが大切かだけは時間が教えてくれる
深い褐色のかがやきのナツメグのような乳房と
大きな鹿族の目
ムスクと若い羊の薫りに檸檬をまぜた体臭

そして巨大な石塊のような腰骨と肉のさまが
唯一生きて識り尽くすべきもの
それにあの澄んだ蜂蜜の汗と
黒曜石のかがやきの剛毛の
一本一本をくちびるで磨き直すこと

















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