2014年8月7日木曜日

一秒一刻に何語 より自由に打てるか


  
ツイッターにはいくつも複数名のアカウントを作って放ってあるが
ひさしぶりにそれらを使いまくって
ガザ虐殺の情報に触れ続けていた

ガザの現地の人びとからツイートが返ってくると
ツイッターというのは
さすがにすごいもんだと思わされる
爆撃を受けている地区で
なんとか隠れて生きのびている人びとに
140字以内のことばで書き送れることばは
ほとほと困惑しながら
なんども朝を迎えた

手持ちの和英辞典ではニュアンスの伝達に足りないと痛感し
新たな和英を買い直したり
ことばを英和や英英で確認し直したりと
ガザ虐殺の数週間は
ぼくには英語漬けの数週間だった
現地の人びとがアラビア語で発信してくる惨状は読めず
ずいぶん頑張っているイタリア語発信者たちのものも十分には読め
語学力の欠如を思い知らされた数週間でもあった

日本語をやめて
英語やフランス語で発信すると
一気に海外からフォローされるようになるのに気づかされ
偽名でのツイッター使用ながらも
書く内容や発信内容に責任を持たなければと思わされたりする
何時間もやりとりした相手もいたが
140字以内での外国語のやりとりには
一語一語
語法の限界ぎりぎりをつかむ感性が必要で
スリリングながらも
ずいぶん目の疲れる数時間だった

そんなことをしているあいだに
ガザではどんどん殺されていった

教訓のように
ごくごく個人的に
具体的に思わされたことは
いくつかの外国語の一語一語を
もっと自由に
縦横無尽に使えるようにしないといけないということ
一秒一刻に何語
より自由に打てるか
そんなことがもっと大事になる時代に
とうに入っているということ




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