駿河昌樹 詩抄
気ままな詩選を自分の愉しみのために。制作年代も意図も問わず、まちまちに。
2014年12月31日水曜日
“舞”子を伴って
雪の“舞”う地方に昨日までいて
ひとたび“舞”いもどり
“舞”子を
伴って
会いに行く麻衣子へ
また
麻依子へ
そうして
しばらく世界を閉ざし
ぼくはふたたび
まっ白い大判のノートを抱えて
白熱灯のまぶしい回廊をめぐって
しずかに行き来する
どこをかは
やはり
言えないけれど
会いに行く麻衣子へ
また
麻依子へ
“舞”子を
伴って
エメラルドタブレット
繁華街のカフェの丸テーブルで
またこんな書き付けを…
(タブレット、タブレットと
(口々に言うようになったけれど
(エメラルドタブレットに触れた人は
(いまでも
(ほとんどいない
(いつも
(大事なものは迂回される
(モーセがシナイ山から下りてきた頃のまゝの
(人間たちの界
ひとくちコーヒーを飲み
待っていると
犬のパフィンが到着
下に手を下して
書き付けを咥えさえ…
あとは
世界の安寧さ
平和万歳さ
たとえ3000年ほど
まだ
かかるのだとしても
くだものと佐藤宗継さん
[
りんごを食べながら
場末も郊外も田舎も嫌いだからといって
[
つぎにみかんを食べながら
都心に住む
[
今度は柿を
というわけでもない
[
やわらかくなった柿を
都会人の佐藤宗継さんから
[
キウイも食べなきゃ
ぶ厚い和紙製のクルシマズカードが
[
バナナは後でもいいかな
届いていなかった
[
マンゴーを食べ飽きたアジアで
一九八三年の歳末
[
ココナツジュースはあんまり…
忘れがたいね
[
けっきょく無農薬イチゴ!!!
忘れがたいね
栗村美津子や元田しのぶに
なにもない空間ほど
贅沢なものはないけれども
それがわかるまでには
栗村美津子や元田しのぶに
なんども
なんども
会ってみなければならず
すべては
そこからなわけだ
とにかく
確かな問題も
自分が不確かなのを
あなたはよくわかっていたじゃないか
ふらふらして
いるのかいないのか
わからないほどなのだと
だから
問題なんてない
不確かでもないあなたには
確かな問題も
あるはずがない
自他の境目にも
しかし
雪国を抜けると
また
国境の長いトンネルだったりするのさ
*
留まっているわけにはいかない
雪国にも
トンネルにも
国境にも
じぶんにも
他者にも
自他の境目にも
*
川端康成『雪国』冒頭参照
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」
ひょっとして「近い」が
どこで付いてしまったのか
すぐに「遠い」ということばを使いたがる癖があって
ぜんぜん遠くなかったよね、「遠い」ということば
ずいぶんと「遠い」の近くで生きてきてしまったね
そうして
ひょっとして「近い」が
ずいぶん遠かったりしてきたのかな
これから始まる
まだ生まれもしない頃のことを
もし
ていねいに思い出そうとしてみれば
思い出せれば
きらきら
なにもかもが
水面のさざ波のようだったと
気づく
喜怒哀楽の
特に怒哀のあたりを
そのきらきらで照らし直せば
よくわかってくる
まだ生まれてもいなかったのだと
すべては
これから始まるのだと
すてきな宙に
手放すという言いかたでも
まだ強すぎるほど
やわらかい離れかたを
しばらく
見習わせいただいてきたのでした
まるで
かるくかるく
やさしいものを
プレゼントするように
綿毛を
すてきな宙に
永遠に
浮かせてやるように
海に行ったら
海に行ったら
あの波にも
ほかの波にも
伝えてほしいことが
ほんのすこし
あるけれど
大声では
言わないで
小声でも
言わないで
ちょっとした
喉のふるえぐらいで
ことばに
なる以前の
温度も
かたちもない
けれど
香りはほのかにあるような
そんな
ものならぬものを
伝えてほしい
海に行ったら
海に行ったら
2014年12月30日火曜日
まだまだ吟味し尽くしていない
しかたのないことをやるのは
そうしかたのないことではない
無駄
無効
時間
塵労
持続
諦観
忍耐
落胆
後退
変異
停滞
記憶
忘却
急変
これらが個々別々に散って存在しているのでもない
驚くべき緊密な菌糸を伸ばしあって繋がりあっている
無駄な至福もある
塵労の達成もある
停滞する急変から忘却の記憶まで
それらの底部をまだまだ吟味し尽くしていない
るるららん
るるららん
るるららん
修行だの
実験だのが続いているとはいえ
ここは花咲く野辺の道
思えばお茶も宙から湧き出る
お菓子も空から降りてくる
るるららん
るるららん
役に立つこと
立たぬこと
通る筋から通らぬ筋へ
花咲く野辺の
無限の歩行
るるららん
るるららん
あらゆる現象の秘密
ひとの愚かさを
笑うどころか
見ている暇さえない
そのうえ
愚かさは悪いものでさえない
四角くもあり
丸くもある
ちょっと大きなペーパーウエイトを
調理場のわきに置いてある
それがじつは
あらゆる現象の秘密
一見すると
純粋なガラスの塊のように見えるが
世にも不純な透明体
それがじつは
あらゆる現象の秘密
徹底的に
子宝に恵まれた変質者が
のんびりした海辺で他人の乳児の皮を剥き
これからバーベキューにしようとしているという
ブロック体の短文を読んだのはどこか
思い出せない
メトロの駅から駅を繋ぐ通路を
終電が行ってしまった後
ふたりで辿り
駅の上に出た寒い深更
あの時のさまざまなアングルの顔は忘れないが
それを粘土板に刻みつけようともしないから
失われていくのさ
あなたは
永遠に
徹底的に
触れても感触さえ得られない鏡
わたしのほうからだって見ている
見られているのに安住していると思ったら間違い
人の視線を惹くロボットを投じて
それを見る人びとを見ることを続けている
ことばを見ながらことばを読んでしまう人びとを見る
その人びとを見るじぶんを見る他からの視線をたえず消しながら
亡霊のように
亡霊のうちでも最も見定めがたいものたちのように
いわば触れても感触さえ得られない鏡のように
宝飾品に無縁な人びと
宝飾品に無縁な人びとのための宝石が
ふいに
ゆるやかな包装の届け物となって
玄関前ではなく
部屋の奥まったところの棚に置かれていたりする
軽く元気になるような花の香りが
廊下にはながく漂っていて
夜
そこに立ちどまって
じぶんの肩のあたりが光を発しているのに気づく
そんなふうに
ほんとうのことが起こり出す
宝飾品に無縁な人びとに
かぎってのことではあるが
そのためにのみ
情報はむしろ壁
枯れた草の茎の中に残った空間をこそ通って
開けたところへ抜けるべきだが
狭い思いをすればいいというものでもない
もっと楽な方法はある
みんなでそれを探してきたではないか
探し続けるのだ
悲観も楽観も感情の上っ面の天候変化に過ぎない
可能性とまだ現実化していないものだけが検討されるべきで
そのためにのみ脳がある
あたりのいなさ なさ に
ことばを貶めて
森を讃えるひとびとにも飽き
集落の入口の祠の泉から
てのひらで冷水を汲んで飲んだ
しずかな犬が後ろを過ぎたようだが
ふりむいても見えなかったので
わたしから距離を取りながら憑いてきていた
あれ
だったのかもしれない
落ちていったのだろう
去っていったのだろう
ことばは鎮魂である
ことばは厄払いである
悪魔というものはいない
悪魔に思えるものがいるとしても
失うものがない時には
それさえも
もう
悪魔ではない
遠いとおい森が
あんなに鬱然としずかなのに賑やかだ
あの賑やかさは
わたしにしか聞こえない
あそこから離れてきた
あそこを捨ててきた
祠のまわりには
だれもいない
なにもいない
わたしひとりであたりを見まわして
ここはなんと
なにもないことかと
心を洗っている
わたしの
わを洗い
たを洗い
しを洗い
視線さえ洗い
もう少しすれば
なにもなくなってしまって
あたりの
いなさ
なさ
に
そのまま
いっしょになってしまうだろう
たった一冊の本でも
落ち着いて
すこしめんどうな本を
たった一冊でも
静かな部屋で
たったひとりで
時間をかけて
じっくり読み切れるような人なら
この世にいて
たいした問題などないはず
そういう生き延び方
この世のことを
おおごとにとらえ過ぎている花々が
足を生やして大挙してくる
そこを狙って
かたちを捉えきれないほどの大鉈をふるい
刈り取りする者がいるが
あれはだれか?
刈り取ろうとするのは
ほんとうはなにか?
なにもしゃべらずに生きよ
と聞こえる声が
小さすぎるような
大きすぎるような
そのせいで
だれにも聞こえない
聞こえないのをいいことに
わあわあ言っていると
あの大鉈で
ざあっとやられる
ひとたびやられたぐらいでは
まだ刈り残る者が無数にいるものだから
おおごとだと騒ぎたてて
なおのこと姦しく
わあわあ言うのだが
そこをさらに
何度も
ざあっと
ざあっとやられる
それでも刈り残される者たちがいるが
花であることを
かれらはやめてしまう
岩や風になるというよりも
風景になってしまう
他の場所とはちがうという
その場所だけの雰囲気になってしまう
そういう
生き延び方というものがある
2014年12月29日月曜日
もう死んで四年になるのに
永遠に死んでしまったのだろうか?
マルセル・プルースト
もう死んで四年になるのに
友の転居届を郵便局に出し直す
その友宛の郵便が
すでに別の人のもののはずの
住所にまだ届くらしいので
転居届を出し直す
わたしのいまの家に
移り住んだかのように書いて
転居届を出し直す
本当は九月に出すべきだったが
この秋は多忙すぎて
年末までこんな作業もできなかった
正月間近になって
死んだ友の転居届を出す
1
月
1
日から有効だそうだが
まだまだ来る年賀状の仕分けに
間に合うだろうか
間に合わないだろうか
もう死んで四年になるのに
友にまつわる事務作業は
こんなふうにまだ続いている
他にも続いているものがある
ひとりの人は体は死んでも
層をなしていた網の目は
なかなか死に切らず
生者たちによって維持される
ひょっとしたら
永遠に死なないのかもしれない
よかったよかった
連れられて
一度食べに行ってみたことは
あるけれど
よく覚えてもいない
味と雰囲気の店が
他の場所に移ったから
ぜひ食べにいこうと誘われ
誘われるままに
いい加減に
いいですよと返事しておいた日が
いよいよ来て
なかなか
遠いところなものだから
もっと近場に
いくらも
うまい店なんてあるんだがなと
めんどうに感じていると
急な予定変更のメールが来て
朝がた女主人がクモ膜下出血で倒れ
しばらく閉店とのこと
おやおや大変な…
と思いながら
それでは今日はナシかな
と期待したら
急遽別のお店にしましょう
そこはまた別の駅で
と話が進められて
その駅も遠いものだから
なんだかなぁ
と思いながら
夕方になっていき
変更先のお店に行って
どうせ大したことはないだろうけれど
と食べてみると
これが安くてすごく旨いもので
距離の遠さや
来るまでの乗り換えの面倒くささなど
一気に吹っ飛び
愉しい晩餐となって
よかった
よかった
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