クレンペラーの振る『英雄』を
ひさしぶりに聴くと
やっぱり
これはじぶんには合わないように感じる
第2楽章はまだいいが
第4楽章に至っては
いい悪いではなく
面白くなくって
自殺した
音楽評論家の友が溺愛していた
クレンペラーだが
雄渾
構築的
揺るぎない
悠揚せまらぬ
などの形容が並ぶ
演奏を聴いていると
かたちから離れることや
テンポを崩すことへの恐れが
がらんどうのホール建築にそのまま
さびしく移し変えられたかのようにも聞こえる
こういう音楽はさびしい
さびしさは美だろうが
わたしにはもう
要らないかな
どこかの浜辺に行って
CDを円盤のように投げて
しばらく
海を泳いでおいで
そうしてやりたい気がする
爬虫類のような目つきをした
醜男だった友が
じぶんなりの美に固執していたのを
思い出す
ホテルのドアノブで
首を吊ったのが発見されたが
どこかの梁からぶら下がったり
電車にはね飛ばされるよりは
醜悪ではなかったかもしれない
いずれ
死ぬのだ
皆
クレンペラーの1959年の演奏
フィルハーモニア管弦楽団
どうでもいい
1907年にマーラーの推薦で
プラハのドイツ劇場の合唱指揮者になったのが
クレンペラーのデヴューだが
この人のやり方では
マーラーは死んでしまう
それも
どうでもいい
よりよいものは
つねに
この世に
溢れている
これが
つまらなければ
他のものを
試してみればいいのだ
それだけのこと
ドアノブで
首を吊らなくったって
いい
クレンペラーは
88歳まで生きた
それも
どうでもいい
といえば
どうでもいいのだが
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