個人などとうに終わっている
あらかじめ前もって終わっている
ひとつの人体の脳に巣くっている自我意識は
そもそも外的環境史の歪んだ集束体に過ぎないので
社会で粗く「個性」と呼ばれてしまいがちな独自性など
はじめから発生する可能性さえない
その当該意識の構成要素として要素aが加わったが
隣りの家族のひとつの人体の脳に巣くう別の意識にはそれが加わら
かわりに要素bが加わったという程度に過ぎない
要素aと要素bの差を「個性」と見なしたり
それを価値付けしたりする幻想が
しばしば「人間的」であることの一部ででもあるかに謳われるが
これを習性と呼ばないでおくならば
ヒト科に特有の体臭のようなものだと
見ておいてもいいのかもしれない
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