2020年12月22日火曜日

ニッポン虜囚時代

 

 

それほど昔のことではない,その名は思い出せないが,ラ・マンチャ地方のある村に,槍掛けに槍をかけ,古びた盾を飾り,やせ馬と足の速い猟犬をそろえた型どおりの郷士が住んでいた。羊肉よりは牛肉の多く入った煮込み,たいていの夜に出される挽き肉の玉ねぎあえ,金曜日のレンズ豆,土曜日の塩豚と卵のいためもの,そして日曜日に添えられる子鳩といったところが通常の食事で,彼の実入りの四分の三はこれで消えた。
   セルバンテス『ドン・キホーテ 前篇』(牛島信明訳)

 

 


わたしが教えている大学の中には

名ばかりの大学があって

それがどこのなんという大学か

『ドン・キホーテ』の冒頭にあるように

その名は思い出せない

と言っておいたほうがいいだろうが

なにせローマ字のQさえ知らない者が

平気で入学許可される大学

 

語学を教えていて

すでに教えてある文を

学生に読ませたら

まったく読めず(この程度は日常茶飯時の出来事)

どうしたんだい? 場所がわからないかい?

とテイネイにヤサシクたずねたら

平成の半ばからは教員は養護施設職員となったのであるからして)

「最初の時が読めません」という

「どの字が?」と聞いたら

「Pの反対になっている字」

それはなんと! Qで始まっている文で

つづり字が読めないというのならまだしも

文字がわからないというのだから

ぶったまげたね、こりゃ!

「これ、キューじゃない? 英語で使っているよね?」

「習ったことないです」

「6年間英語やらされたよね」

「でも習ったことないです」

 

さすがにQを知らない学生は

そうたくさんはいないが

誰も彼もだいたいこんなレベルのクラスを

正式な入試なしで高校からの推薦とかなんとかで

雑魚の地引き網みたいに海底から漁って集めてくるような

どこのなんという大学か

その名は思い出せない

と言っておいたほうがいい大学で

ふたつも担当してきたんだから

わたしはこの何十年間を

ニッポン虜囚時代と

呼んでいる次第





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